Jeep® は原点回帰の象徴。読売ジャイアンツ 鈴木尚広コーチの新たなる船出
現役時代は“代走のスペシャリスト”としてファンを沸かせた元・読売ジャイアンツの鈴木尚広さんが、原辰徳監督が采配する新生巨人軍にコーチとして帰ってきた。昨年末には最新のラングラーのオーナーになったという鈴木さんにインタビュー。再出発の意気込みについて話を伺った。
※こちらの記事は、2019年2月にインタビューした内容を編集・掲載したものです。
Jeep® ファンに放った原監督の言葉
福島県の相馬高校から1997年に読売ジャイアンツへ入団。常勝だけが望まれる過酷なプロ野球チームに20年間在籍し活躍したのが、元プロ野球選手の鈴木尚広さんだ。“代走のスペシャリスト”として知られた現役時代晩年は、異質とも言える存在感を示していた。
ゲーム終盤、逆転勝利に向けてその名がコールされ、背番号12が一塁に向かうだけで、ジャイアンツファンは球場を揺るがすほどの声援を送った。「鈴木が塁に出れば必ずホームに帰ってくる」。その期待に応え続けたことでスペシャリストと呼ばれたわけだが、途中出場の代走であれほどファンを熱狂させた選手は、80年を越えるプロ野球史上にどれほどいるのだろう。
アスリートとして類稀な個性を誇った鈴木さんを長年支えているのがJeep® だ。現在の愛車は、2018年12月に手に入れた最新のJeep® Wrangler。実はこれが3台目のJeep® である。何故それほどJeep® に惚れ込んだのか。まずはその発端であり、人生初のマイカーにもなった最初のJeep® Grand Cherokeeとの出会いから。
「ジャイアンツでは、寮生活の高卒ルーキーは入団5年目まで自分のクルマを所有できない規則があったんです。とは言え、やっぱり欲しいんですよ。クルマを持てば男としてワンステージ上がるような気持ちになるじゃないですか。だから街に出れば常にいろんなクルマを物色していました。そんな中で目に留まったのがグランドチェロキーです。とにかく形が気に入りました。自分自身のイメージとピッタリだと思って」
その後、一度はJeep® から離れ、スポーティなセダンに乗り換えるも、再びJeep® に戻る経緯は、プロ野球選手としての鈴木さんらしい考え方に満ちている。
「ある年の冬、実家の福島から戻ってくる道中で大雪に降られ、後輪駆動だったそのセダンで怖い思いをしたんですね。そこで、故郷の往復程度でこの危機管理の低さはダメだ、あまりにも準備不足だと痛感したんです」
そうして2012年、ジャイアンツの選手では誰も乗っていなかった黒いラングラーを購入。困難な条件下でも準備万端な走りで応える2台目のJeep® となったが、かの原辰徳監督は鈴木さんにこんな感想を述べたそうだ。
「尚広、これは街乗りするクルマじゃないな(笑)」
わずか3秒に7時間の準備を
クルマ選びで持ち出した“準備”という言葉。それは鈴木さんの現役時代の在り方に直結する。
「3秒のために、およそ7時間かけて準備をする」
3秒とは、1塁から2塁に向けて盗塁する際、確実にセーフになるというタイミング。そして7時間は、誰よりも早く球場入りし、いつ代走で出場してもいいように体を整えるため、鈴木さん自身が必要不可欠と判断した時間だ。
「人生で一番大事なのは準備。結果という現象だけでなく、結果に向けてどんな自分をつくり上げていくかがプロ野球選手の勝負だと、そう思い続けてきました。人からは球場一番乗りは大変だろうと言われましたが、準備がどんなに辛くても、そのすべてを当たり前にしてしまえばいいんです。それに、人と同じことをしていてもチームに必要な人間にはなれませんから」
鈴木さんにはこんなエピソードがある。入団1年目に3度の骨折を経験。それ以降ケガしやすい体質になったため、若いうちから年俸の半分を専属トレーナー契約につぎ込み、積極的な肉体調整に取り組んだ。ちなみに、ある資料によればプロ野球の平均選手寿命は9年。引退の平均年齢は29歳だという。対して鈴木さんが38歳まで現役でいられたのは、言うまでもなく先を見越した英断によるものだ。
「準備と努力を惜しまなければ、技術は経験とともに向上します。ただ、モチベーションを失う最大の要因はケガです。故障を抱えることで、どんな選手もメンタルがやられ、最悪の場合は引退に追い込まれる。僕は生まれつきなのか、トラブルを乗り越えていく自分を称えてやりたい気持ちが強いんですね。でも、それを可能にするには、やはり準備です。その意識を持ち続けられたから、20年もジャイアンツでプレーできた。そこは自信を持って言えます」
鈴木さんが語った、準備による技術の向上を裏付ける数字を紹介したい。現役を引退する2016年シーズンに、12年連続二桁盗塁と自身初の盗塁成功率100%を記録。さらに、当時の段階で200盗塁以上での通算盗塁成功率歴代1位に躍り出た。
そうした記録の素晴らしさに否定を挟む余地はない。だが、一人の選手としては代走より先発を望むものではないだろうか?
「Jeep® を選んだことにもつながりますが、勝利にこだわるジャイアンツでは、人と違うことができなければ生き残れません。僕にはレギュラーの個性がなかったけれど、成功率が高い代走という個性はあった。それを貫いた結果です。スペシャリスト、おもしろかったですよ。鈴木の名前が呼ばれると、球場全体が盛り上がって僕色に染まっていくんです。ファンもチームも一体となった中で盗塁を決めたときの高揚感は、他では得られないものだった。自分が生まれてきた意味を感じられましたね」
ふと、洋々と語ってきた鈴木さんの表情が固まった。
「考えてみれば野球って、ただの球遊びですよね。それでも人が熱狂するのが野球の魅力ですが、プロの現場を離れてみたら、よく20年もあんな世界にいられたなと怖くなりました。プロ野球選手になるのって、人生を賭けたギャンブルみたいなものですからね」
今度のラングラーは街乗りも快適!
野球選手だけでは終わりたくないという理由で現役を引退。「あまりに遅咲きの社会人デビュー」を果たし、この2年間はトレーニング理論を学び直しながら、講演会やテレビ出演を通じてスポーツの魅力を伝えてきた。そして2018年10月。ジャイアンツの監督に原辰徳氏が就任することとなり、新監督自ら来季の外野守備走塁コーチを依頼した。
「1秒で決めました。自分を見出してくれた監督ですし、断る要素は何もありませんでした。経験がないので、今はまだ自分のコーチ像が上手く描けませんが、鈴木2世を育ててほしいという期待値は十分感じているので、監督の戦い方に即した育成をしたいと思いっています。若い選手には、負けることがどれだけ悔しいことか、苦しんだものだけが勝てるという現実を伝えていきたいですね。とにかくゼロからの出発なので、頑張りすぎず張り切りすぎず」
今回のコーチ就任は、野球人としての再出発になるのだろう。新シーズンを迎える直前の年末に最新のラングラーを手にしたのも、リスタートへの意気込みによるものだそうだ。
「以前のラングラーからかなり変わりましたね。外観のデザイン性がより高まり、内装はさらにラグジュアリー。乗り心地の安定感も向上した上に、小回りがよく利く! それと、視線が少し高くなったので、視野が広くなりました。昔とくらべるとあちこち新しくなりましたが、それでもJeep® に帰ってきた安心感があります。今の僕にとっては、原点回帰の象徴ですね」
2月から恒例のキャンプが始まり、オープン戦を経て3月29日(金)に今シーズンのプロ野球が開幕する。ホームの東京ドームなど、クルマで通える球場の往復はラングラーに頼ることになるという。
「唯一落ち着けるのはJeep® の中になるでしょうね。特に試合の帰り道は、僕を癒してくれる存在になるはずです。そう、原監督にはまだお見せしてないのですが、今度のラングラーは街乗りもめちゃくちゃ快適ですよとお伝えします(笑)」
Text:田村十七男
Photos:大石隼土