アルペンスキーから山岳スキーに転向後、RealStyleで数回に渡り活動報告をしてくれた佐々木明氏が、40歳を迎えた2022年3月に4年後を見据えた競技復帰を宣言。生粋のJeep乗りでもあるスキーヤーが、いかにして大きな決断に踏み切ったか。その経緯をトレーニングの合間にたずねた。
過去の栄光は今の実力じゃない
※こちらのインタビューは2022年7月に行われたものです。
「限りなく成功が難しい取り組み以外は挑戦じゃない」
▲佐々木明氏。
1981年北海道生まれ。少年時代からアルペンスキーで頭角を現し、日本体育大学在学中の19歳で世界選手権とワールドカップにデビュー。21歳でソルトレークシティーオリンピックに出場。以降、トリノ、バンクーバー、ソチまで4大会連続出場を果たす。ワールドカップでは、日本人最高位の2位表彰台を3度もなしえた。
▲写真:田草川嘉雄
32歳で臨んだ2014年のソチオリンピック後は、新たなフィールドを求めて山岳スキーへ。先代JKのラングラー アンリミテッドに始まり、『ジープ グランドチェロキー(Jeep Grand Cherokee)』、そして最新のJL『ジープ ラングラー アンリミテッド(Jeep Wrangler Unlimited)』を乗り継ぎ、この8年間は日本中を駆け巡る日々を過ごした。以上が重大発表までの経緯だ。
確かに彼は、アルペンスキー競技から山岳スキーに舞台を移す際、「引退」ではなく「転向」という言葉を使った。しかし、40歳で競技復帰するとなれば、しかも8年ものブランクを挟んでいると知れば、誰もが驚かざるを得ない。あるいは非常識として揶揄するかもしれない。
それでも彼は、44歳で迎える2026年のミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックに出る決意を高らかに宣言した。
「2022年の3月9日、1人きりの札幌のホテルでした。その日やるべき作業をすべて終えたとき、ふと『やろう』って決めたんです」
その札幌泊は、リゾート開発という未来に続く仕事のためのステイだったという。
「過去の栄光で今が成り立っているところはたくさんあります。2030年の札幌オリンピックに向けた町おこしの仕事も、推薦や紹介があってこそ。そうして日本のスキー界で、自分のようにやれている人は他にいないだろうとも思うんです」
ではなぜ?
「50歳を想像してみたとき、これまで培ってきた流れに乗って、『それらしい大人になるんだろうなあ』と思ったんですよ。そういう普通の大人になれるのを喜んでいる自分もいた。ただ、『俺が本当に望むのはそれなのか』とよくよく考えたら、逆にイメージがおぼつかなくなって、すごく怖くなりました」
とはいえ、実績を積み重ね信頼を勝ち取り、然るべき立場を得るために人は頑張るのだろうし、むしろ大人になるとはそういうことではないのか?
「でも、そのままでいたら普通の大人でしょ? 何より、過去の栄光は今の実力じゃない」
今日1日のために1年の364日を費やしている
ソチオリンピックの後に、何かしらのピリオドを打つため山岳スキーに転向したことに後悔はないという。だが、それなりの立場に流れ着くのも良しとした彼に、“普通の大人”になることを拒ませたのは山の世界だった。
▲写真:Hiroshi Suganuma
「山に挑んでよくわかったのは、1つのことを一生かけてとことんやり続ける人がたくさんいること。その究極が三浦雄一郎。それはアルペンとの大きな違いでした。そして、本気で山に向き合っている人ほどに自分は山にコミットできていない事実だった。皆、今日1日のために1年の364日を費やしているんです。それは俺がアルペンでやっていたことだったんです」
この8年間、つまり競技再開までのブランクは、今となってはその気づきのためにあったと思えるそうだ。
「こうなることは、薄々は気づいていたんです。でも、これまでの楽しい暮らしを捨てて、かつてのようにすべてを競技のためだけに費やして、それで失敗したらどうなるんだと、少なくとも2年は葛藤しました」
佐々木明にも恐れるものがあったわけだ。
「あったんでしょうね(笑)。挑戦とは目標設定だと思うんです。目標を決めて挑んだからこそ、失敗してもクリアするまでやり続ける。アルペンでそれが果たし切れたかというと、やっぱり取りこぼしがあった。要するに頂点に立っていない。優勝にしか意味がないのは、世界大会であろうと町民大会であろうと同じですから。そこにたどり着けなかったのは、やっぱり人生の汚点なんです」
今が最大にして最後のチャンス
「1つのきっかけは、湯浅直樹の引退です」
彼が口にした2年の葛藤。その間の出来事として、同郷で2歳年下のスキーヤーの名を挙げた。湯浅直樹氏は、先輩同様にアルペンのワールドカップや世界選手権で活躍。3度の冬季オリンピック(五輪)に出場。人工関節手術もいとわず戦ったが、2021年末にそのシーズン限りでの引退を表明した。
▲湯浅直樹氏(写真右)(写真:田草川嘉雄)。
「彼と菅平で滑ることがあったんです。2人でリフトに乗ったら、係のおじさんは直樹にだけ声をかけたんです。まだ現役だったから。そこで見過ごされた俺は、過去の人になることを実感したんです。だから彼が引退を考え始めたとき、直接会って伝えました。『辞めるというのは、あの菅平の俺になるんだよ』って。そう言いながら、自分の中にズレが生じたのを感じたんです。直樹は、肉体というより人間の限界に達して辞めざるを得なくなったけれど俺はどうだ? まだできるのに何をやっているんだと」
「それから」と彼は言葉を続ける。
「夏の東京オリンピックと冬の北京オリンピックが続いたのも大きかった。選手たちがカッコよくて、やたら感動して号泣しまくりました。彼らはやっぱり凄いんですよ。他にやりたいことを我慢して、時には大事な人とも別れて。そういう努力や経験を俺は知っているから余計にね。『ゆず』の歌なんか流れて来たら相当ヤバかったですよ」
たった1人の自問自答。だからこその葛藤。その末に訪れた、ホテルの部屋という予期せぬ場所での穏やかな啓示。自分はラッキーだと彼は言った。
「俺が目指しているのは、誰もが知っているわかりやすい大会ですからね。ただ、4年に1回という現実を見れば、今が最大にして最後のチャンスです。やっぱり44歳以降は無理。自分で限界はつくりたくないけれど、物理的な限界は悟っている。ただ、今の自分にはやれるマインドがあるから、これが本当のワンチャンスになりますよ」