Real Tabi with Jeep〜Jeepと行く、日本の“こころ”を探る旅〜〈徳島県・阿波路〉
瀬戸内の自然に囲まれた里山の舞台で人形浄瑠璃の源流に触れる
自由、冒険、本物、情熱──。4つのDNAを持つJeepを駆って、日本という地が持つ“こころ”を解き明かす旅へ。徳島・阿波路の豊かな水と自然、人の心が織りなす文化を訪ねて。
今回ご紹介する徳島の旅をYouTubeでお楽しみいただけます。
迫力に満ちた鳴門の渦に、起伏豊かな林道。
海と山の魅力を堪能できる地、阿波
淡路島を過ぎ、大鳴門橋を渡って徳島へ。作家の司馬遼太郎が『街道をゆく』の阿波紀行の中で「大きな渦が、ゆるやかな独楽のように舞っているのをみた」と記した鳴門の渦が、『ジープ コンパス リミテッド(Jeep Compass Limited)』を迎えてくれた。
瀬戸内海と紀伊水道の干満差により生まれる鳴門の渦潮は、春と秋の大潮時には直径20〜30メートルに達することもあり、その大きさは世界一といわれている。車を停めて大鳴門橋の遊歩道『渦の道』を散策すれば、海上45メートルのガラス床から見下ろすこともできる。自然がもたらすダイナミックな絶景は、いくら眺めても見飽きることはない。
四国4県の中でも豊かな自然資源に恵まれた徳島。剣山(つるぎさん)国定公園を貫き東西87.7キロメートルにおよぶ剣山スーパー林道は、日本最長の林道として全国からオフローダーが訪れる。今や日本では数少ない起伏に富んだダートロードは、コンパスでの走破の醍醐味を存分に楽しめる。
時間があれば、林道の途中にある宿泊施設『ファガスの森 高城』で一泊するのもいい。ブナやカエデ、ナラが茂るキャンプ場にはJeepをはじめとする4WD車やバイクで訪れる人も多く、キャンプを楽しみながらオフロード談議に花が咲くかもしれない。早朝に発てば、約4キロ先にある絶景スポット『徳島のへそ』で日の出を拝むことができ、晴れた日は大鳴門橋まで見渡す大パノラマが広がる。
豪商の家が軒を連ねた町並みに、山村集落。
いにしえの人々の暮らしの営みに思いを馳せて
吉野川は、長きにわたり阿波・徳島の人々の暮らしと密接な関係を築いてきた。農業や林業、そして江戸時代初期から地域の一大産業である藍作りを支える豊かな水源であった一方、しばしば洪水も起こした。しかし氾濫によって運ばれる肥沃な土壌は、『阿波藍』の産業が花開く要因になったと考えられている。
吉野川中流域にあたる美馬市脇町の「うだつの町並み」は、藍の集散地として栄えた江戸時代から明治時代にかけての藍商人の豪邸を今に伝えている。400メートル以上にわたって連なる本瓦葺き(ほんかわらぶき)で漆喰塗りの屋敷群は、隣家との間に防火用の「うだつ」と呼ばれる袖壁を備えている。後に装飾的な意味合いも持つようになったこの「うだつ」は、裕福な豪商の家でなければ設けることができなかったことから転じて、地位・生活などがよくならないことを「うだつが上がらない」と言うようになったとされている。伝統的な虫籠(むしこ)窓や蔀戸(しとみど)も趣深く、古き良き時代にタイムスリップしたような気分を味わうことができる。
いにしえの阿波の暮らしを今に残すもう一つのスポットが落合集落だ。平家の落人伝説が残る三好市東祖谷(ひがしいや)の、高低差約390mにもおよぶ山の斜面に点在する古民家群は、まさに天空の桃源郷。厚い茅葺き(かやぶき)の屋根や独特の石垣、囲炉裏のある室内は、山村の原風景として誰もが懐かしい気持ちを抱くはず。
青空の下に集い、人形浄瑠璃を楽しむ
『農村舞台』という伝統
徳島県が世界に誇る『阿波人形浄瑠璃』は、藍の栽培に従事する農民たちの娯楽として阿波の藩主であった蜂須賀家が保護・奨励し、阿波の藍商人の経済力を背景に発展した芸能であるという。
11月3日、徳島市八多町八屋の『犬飼農村舞台』を訪ねた。徳島市街から40分ほど、里山にひっそりと佇む舞台を目指し、カーブの多い細い道をコンパスは奥へ奥へと難なく進んでいく。
『農村舞台』とは江戸時代から明治、大正にかけて神社の境内などに設けられた人形浄瑠璃のための舞台。人形を遣う舞台と太夫・三味線の座には屋根があるが、観客は屋外で広場に座って観劇する。年に一度の『犬飼農村舞台』での阿波人形浄瑠璃の公演は、朝10時に始まり夕方まで、弁当や菓子、特産の蜜柑などを食べながら一日がかりで楽しむ催しだ。
「徳島県では現在も、約50人の太夫(たゆう)・三味線、約200人の人形遣いが人形浄瑠璃に携わっています。どの人も皆、他に仕事を持ち、週に一度集まっては練習を重ね、年間50回ほどの公演を務めています」と、徳島県立阿波十郎兵衛屋敷館長の佐藤憲治氏は語る。
「村の共有地である神社の境内に設けられた農村舞台は、本来は豊作祈願や豊作感謝の祭りの際に芸能を奉納するためのものだったのでしょう。阿波では現在も人形浄瑠璃を上演するための舞台として多数残っており、全国一の現存数を誇っています」と語る佐藤氏に、「アウトドアに集い、人と触れ合い、コミュニティが広がっていく……。農村舞台のあり方は、Jeepのコンセプトにも通じる部分があるように感じます」と、ティツィアナ・アランプレセ。
五穀豊穣を祈る『式三番叟(しきさんばそう)』の舞、夫婦の情愛を描いた『壺坂観音霊験記(つぼさかかんのんれいげんき)』に続き、阿波が物語の舞台となっている『傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)』が幕を開けた。幼い頃に生き別れた父母を探し巡礼の旅をする、わずか9歳の少女の哀れさが涙を誘う。この演目で浄瑠璃を語る太夫も、同じ9歳とのこと。曽祖父から4代にわたって阿波人形浄瑠璃に携わってきた。
「昔は農家の長男しか参加できなかったようですが、現在は女性の人数の方が多いですね。文化的な活動を通して、女性同士が集まるコミュニティの場となっているのかもしれません。農村舞台の人形は屋外の観客席でも見やすいよう、文楽の人形よりひと回り大きく重いので、力のある男性にもっと参加してほしいのですが」と想いを述べる佐藤氏。
舞台は、時代物の大曲『絵本太功記 尼ヶ崎の段』へ。本能寺の変の後、明智光秀とその家族を描いた悲劇を、太夫・三味線・人形遣いが熱演。観客たちも舞台にひきつけられていく。最後に披露されたのは、舞台背景が次々と変化するスペクタクルな『襖からくり』。朝方は肌寒かったが、雲が切れて陽がさすと、客席の熱気もあってか体が温まってくる。風に乗って流れてくる緑の香りや鳥のさえずりも、のどかな舞台演出の一部に感じられた。
「山の奥、森の中……非日常を探しに行く旅には新しい感動があります。ここ徳島の地でもたくさんの感動に出会うことができました」と言うティツィアナ・アランプレセに、佐藤氏は「仕事や学業の傍ら人形浄瑠璃に携わる彼ら自身も、日々“非日常”の旅をしているのかもしれません」と応える。まだ見ぬ美しい自然と、その中で人々が受け継いできた生活や文化を探して、Jeepの旅はまだまだ続いていく。
●ティツィアナ・アランプレセ
FCAジャパン株式会社 マーケティング本部長
ナポリ東洋大学で学んだ後、奨学生として来日。九州大学大学院修了。帰国後、日本の自動車メーカーの現地法人およびフィアット グループでの勤務を経て、2005年から現職。
●佐藤 憲治(さとうけんじ)
徳島県立阿波十郎兵衛屋敷館長/阿波農村舞台の会
徳島県庁にて長年文化行政を担当。2014年に退職後、阿波人形浄瑠璃の拠点施設「徳島県立阿波十郎兵衛屋敷」の運営を通じ、徳島の文化・観光振興に取り組んでいる。
※役職、肩書きは取材時のものです。
徳島の経済と文化を支えた 阿波藍染
徳島の地で『阿波藍』が栄えたのは阿波藩の時代。徳島県を西から東に流れる吉野川は、台風がくるたびに氾濫を繰り返す暴れ川だった。そのため、稲作には適さず台風前に刈り取りが終わる藍の栽培が主流となった。
「よく氾濫を起こすということは、肥沃な山土が流れこんで土地が肥えるということです」と語るのは、本藍染矢野工場の矢野藍秀氏。肥沃な土地に恵まれた阿波の藍は、品質・量ともに全国一を誇った。藍商人は藍の葉で作った染料『すくも』を全国に売り歩き藍市場を独占していったという。
「藍商人が商いに出るときには、人形浄瑠璃の語り手である太夫(たゆう)や人形遣い、阿波の踊り子などを連れて行き、交渉の場を盛り上げて商売をしていたそうです」と矢野氏。
藍商人は莫大な財を成し豪華な屋敷を建てた。屋敷には富を象徴するかのように、仕掛け舞台を設置し人形座を招いて人形浄瑠璃を楽しんだ。こうして藍作が活発であった吉野川流域を中心に人形浄瑠璃の人気が高まり、後に庶民自らが人形浄瑠璃を演じて楽しめる農村舞台も作られていった。藍商人は阿波の経済と文化に豊かさをもたらしたのだ。