トレイルランナー宮﨑喜美乃が参戦した世界屈指の山岳レース Hardrock100
世界中のトレイルランナーたちが出場を熱望する世界屈指の山岳レース、Hardrock100が2023年7月に開催された。アウトドアスポーツのメッカであるアメリカ・コロラド州、その中でも標高4,000mを超える山岳エリアで開催されたこの過酷なレースに参戦した宮﨑喜美乃に遠征の全貌をインタビューした。
4,000mを超える山岳地帯で開催されるHardrock100
━━ここ数年で海外レースでの活躍が増えていますが、今回はなぜアメリカのコロラドで開催されるHardrock100(以下、ハードロック)を選んだのですか?
ハードロックは、自然の壮大さ、大会の雰囲気の素晴らしさから日本でもとても有名なレースの一つです。私もいつか出てみたい! という思いはありましたが、レースに出ることができるランナーは毎年150名までと限られており、ハードロックが認定したレースで完走することが第一関門になります。また単に好成績を残した優良なランナーだからと言って簡単に当選するものでもありません。その選抜方法も厳選な抽選と決められていて、有名な大会で優勝したランナーでさえ、何年もエントリーし続けてやっと当選するかどうかの世界です。私は昨年の秋に初めてエントリーを行い、いつか大会ディレクターの目に止まったらと思っていたところ、まさかの一発当選に私自身も驚きました。
ハードロックが他のレースと異なる点の一つは、4,000mを超えるような標高の高い山岳地帯で開催される100マイルレースということです。3,776mの富士山でさえ高所からくる息苦しさに襲われ、身体は重くなることがあります。私は勤め先のミウラ・ドルフィンズで登山家たちが高所トレーニングを行うための低酸素室のトレーナーをしていることもあり、自分自身のトレーニングを行いながら、身体がどのように変化し、またレース中にどんな反応が見られるのかが楽しみでもありました。ハードロックの山を走ったらどうなるのか、自らの身体で体験したいという思いが強かったのです。
━━世界中で開催されているトレイルランニングレース。 ヨーロッパとアメリカとで大会の違いはありますか?
私はこれまで海外レースで、フランス、イタリア、スイス、ポルトガル、アンドラ、クロアチア、ブルガリアとヨーロッパの山々を走ってきました。一つ一つの山は大きく入り組んでおり、同じ国でも場所によって気候が全く違う印象を受けました。一方でアメリカは、とても広大な土地であり、クルマでの移動も100kmをこんな短時間で到着するの? と驚くほど移動距離に関する感覚が鈍くなるような長距離を毎日移動しました。ヨーロッパと同様に一つ一つの山は大きく、そしてたくさんのトレイルがありました。
ハードロックのコースは、カナダからニューメキシコまで南北4,830kmもつながるロッキー山脈、その一部であるコロラドのサンファン山脈(San Juan Mountains)を160km走るルートでした。コース上で通る山以外にも 4,000m級の山々がいくつも存在し、頂上からは何十km先のトレイルがずっと見渡せます。一般的には「遠いな」と感じるような距離感を、今からあそこまで走れるのかとワクワクした気持ちになったのは今回が初めてでした。
最も大きく違うなと感じたのは、今回走ったコース上には、ひとつも山小屋がありませんでした。必要な食べ物や飲み物は全て持って山の中に入る、まさに自身の山力を試される山域です。試走中に出会ったおじさんは自作のピッケルを持ち、テントや寝袋を詰め込んだ大きなザックを背負っていました。サンファンの自然が気に入り近くに引っ越してきたアウトドアマンです。前回は体力不足で途中で引き返したが、今回はどうかな? と、まるで大冒険に出かける子どものような笑顔で話してくれました。そんな山小屋のない大自然の中で行われるレースは、山が好きな人々が支えてくれました。
最高標高4,284mのハンディーズピークにも、どこにエイドステーションを作るのだろうかとGPSでは想像できない山奥にもテントを立て用意してくれていました。雪の壁の峠であるクログレスカンティーンでは、私は真っ暗闇のときに山を通過したのですが、フェアリーライトで峠が明るく照らされ、パーティーが行われているような雰囲気に凍えていた私はとてもパワーをもらいました。はるか遠く上の方から私のライトを見つけ、鈴で応援し、夜中の3時に到着してもスタッフ全員がとても元気に私を笑わせてくれました。どのエイドにおいても、ランナーが到着すると、最初のスタッフがすぐさまランナーのポールを持ってくれ、次のスタッフが背負っているザックから空のボトルを取り出してくれ「中に何を入れるか?」と聞いてくれ、さらに次のスタッフが置いてある食べ物を全て読み上げ、食べている間に満杯に水を補充してくれたボトルをザックに入れてくれる。ある場所では私の顔に日焼け止めを塗ってくれ、エイドを出る時にポールを渡してくれました。それはもうまるでクルマのレースのカーピットにいるかのように、どんなランナーでもいち早く元気にさせて再スタートできるようにスタンバイしてくれました。もう少し休みたい時にも、さぁ次の景色を楽しんで! と言わんばかりにあっという間に送り出されるこのエイドワークには本当に驚きでした。
大会の半年前から大会ディレクターであるデールが何度も大会の様子をレポートしてくれました。レースに近づくと、オンラインで現地にする住むランナーが現在の山の様子や質問コーナー、ランナーをサポートする人のためのアドバイスなど、何度も開催してくれました。大会前には女性ランナーのパネルディスカッションも行われ、私も声をかけてもらいました。地元のコーヒー屋さんで行われたパネルディスカッションにはお店の内階段にも人が集まり、二階席からランナーに質問をするなど、大会前からの盛り上がりをとても感じました。
レース前日には子どもたちのレースが開催され、キッズTシャツには背中に「Future Hardrocker」という言葉が書かれていました。また、この町の奨学金によって大学へ行けたという学生たちが一人一人挨拶をしてくれる一幕もありました。大会開催前から行われるイベントに参加してみて、この大会はランナーが主役ではなく、頑張っている人全員を讃える素晴らしい大会であることを知りました。それを象徴するように、閉会式では完走者一人一人の名前が呼ばれ、一人ずつ手渡しで完走賞と大きな拍手が送られました。また、この記事では「大会」という言葉がわかりやすいため使っていますが、現地ではハードロックのことを大会(レース)とは呼ばず、「イベント」と呼んでいます。人との競い合いではなく、自分自身に打ち勝てるかどうかを讃える会であること、だからレースとは呼ばずにイベントと言う、今回初めて参加して、その意味がよくわかりました。
━━選び抜かれた150名のランナーたち。ハードロックにはどんなランナーが集まっていましたか?
有名なレースで優勝経験があり、大会の新記録を目指している世界トップクラスのランナーから、テンカラを持って釣りをしながらハードロックの時間そのものを楽しむランナー、今回でハードロックを走るのは26回目だという強者、そして8年がかりでやっと当選を果たしたハードロックを走ることに夢みたランナーなど、個性豊かなランナーが集まっていました。ハードロックを走る目的は人それぞれ異なり、一つ一つの想いが輝いているように思えました。レース前日の大会説明会では、すべてのランナーが集結し、レースディレクターの掛け声のもと「We are Hardrocker!」とランナー全員で声を上げた瞬間が忘れられません。
苦しいレース中に見た夕陽の美しさ
━━一体どんな場所でレースが開催されたのですか?
今回の舞台はアメリカのコロラド州、デンバー空港からクルマで6時間ほど南下し、1800年頃にゴールドラッシュで栄えたシルバートンがレースのスタート地点です。人口は650人ほどの小さな町は、映画に出てくるような西部劇の雰囲気を今でも残しています。観光客向けの個性豊かで賑やかな看板のお店が立ち並び、街路には大きなオフロードタイヤを装備したJeepやビンテージカーが土埃をあげて行き交っていました。まるでタイムスリップしたかのようで、初めて目にする景色に心が躍りました。
スタートの町であるシルバートンは標高2,840m、スタートしてすぐに3,940mの山へ一気に登ります。ここからは92km地点まで3,000m以下へはおりません。山頂には雪がまだ多く残っていて、選手たちが走りやすいように階段に削られていたり、雪のトンネルが掘られていたりしました。ハードロックのコース上で最も標高の高い山は、60km地点にあるハンディーズピーク4,284mです。これは私の人生で到達する一番高い場所でした。
この山からの景色がコース上で一番興奮しました。こんなにも360度広がる山の景色は人生で初めてです。夜に迎えたクログレスカンティーンは、雪が冷え固まり、氷の壁となって私に立ちはだかりました。レース中に初めてクランポンを装着し、ヘッドランプで足元を照らしながら滑落しないよう慎重にクランポンの爪を雪面に刺しながら登りました。やっとのことで登った山頂では、大会のボランティアスタッフがすぐさま膝の上にブランケットをかけて暖めてくれ、温かいスープを出してくれました。そしてこのエイドステーションでは名物となっているウイスキーを満面の笑顔で差し出してくれます。私は飲まなかったものの、香りだけ嗅がせてもらうとかなりのアルコール濃度にびっくりし、その場が笑いで包まれました。朝を迎えたレースの後半には、四つん這いになってよじ登る岩のガレバが疲れ切った私の足を阻みました。落石をしないよう、慎重に登りますが、思うようには登れず時間がかかりました。しかし、山頂から見えるコバルトブルー色をしたアイランドレイクという湖は宝石のように光輝き、苦しんで登った私の身体を軽くしてくれるようでした。
ハードロックは大会コンセプトに【ワイルド&タフ】を掲げています。その言葉の意味が何度も何度も感じられるトレイルでした。
━━過去にない大自然の中でのレースだったと思います。ハードロックのレース展開で苦しんだことや、レース中の喜びを教えてください。
スタート直後、女性選手3人が私より前に飛び出しました。その中の一人は世界ランキングトップのランナー コートニーでした。彼女の走りは私のペースよりも明らかに早すぎたため、少し後ろの位置でもう一人の選手と一緒に走り出しました。トレイルが狭くなった瞬間にトップ集団は見えなくなり、自分のペースで進んでいると、一つ分岐を間違えてしまったため一緒にいた選手とも離れ、スタートして5kmほどで一人旅が始まりました。
15km地点にあるカニングハムという最初のサポートエイドまで少し時間がかかったこともあり、前の選手に追いつこうと少し焦ってしまったのが今思えば後半のバテに繋がったかもしれません。48km地点のサポートエイド「シャーマン」では、スピードをあげたつもりなのに、予想タイムより遅れ、昼間の猛烈な暑さに参ってしまいました。予想以上の暑さに斜面に残る雪を帽子の中に入れ、ぼーっとする脳を正常に戻そうと必死でした。夕方4時過ぎ、71km地点のアニマスフォークスのサポートエイドでは予想タイムから1時間以上も遅れましたが、夕方に差し掛かるころ暑い時間がようやく終わり、やっと身体が動き出しました。峠から見た夕陽がとても綺麗で初めてレース中に美しさで泣きました。
夜の10時を過ぎて到着した、94km地点のサポートエイド「ユーレイ」からはペーサーと呼ばれる仲間のランナーを一人付けることができます。私はボルダー在住のアンソニーという男性選手にペーサーをお願いすることができ、今度こそ前に追いつくぞと二人で気合いを入れて走り始めました。ヘッドライトを照らし、前を行くアンソニーに必死についていきますが、登りになった瞬間に全く足が動きませんでした。強気にスタートしたユーレイでの気持ちとは裏腹に眉間に皺を寄せ登ってしまいます。アンソニーが私の顔を見て「スマイルフェイス!」と何度も声をかけてくれ、私もその声かけに何度もこたえました。しかし、日中の暑さが嘘だったかのように上着を2枚羽織っても凍える寒さに、眩暈と吐き気が一気に襲いかかり、足を一歩ずつ進めるのがやっとでした。
深夜2時、112km地点の雪の壁を登攀する「クログレス・カンティーン」という峠のエイドに到着すると、前を走っていた4位の選手がエイドを出発するところでした。スタート直後から久しぶりに女性選手に会い、前を追い抜くぞという強い気持ちが身体の中に復活しました。しかし、4位の選手は私の顔を見るなり、一目散に走り出したため、追いかけても彼女のライトははるか遠くにしか見えませんでした。
120km地点のサポートエイド「テルライド」では、深夜に到着予定がすでに夜が開けそうな時間になってしまいました。ここまでのトレイルで足がふらつき捻挫をしてしまい、気分はまたも落ちてしまいました。ここでは今回最大の休息タイムを取り、メンタルを回復させました。ここから後半の登りはとても長く厳しいことを知っていたので、溜まった身体の疲れではスピードを上げられる気がしなかったからです。なんとかサポーターに声をかけてもらいエイドを出ましたが、足は当然ながらそんな簡単に回復することはなく、そこから無心に足を動かし前に進むしかありませんでした。
しかし、ここで後ろを走っていた男性選手に追いつかれてしまいました。アンソニーが声をかけてプッシュしてくれ、なんとか私もそれにこたえようと必死で前を向きました。すると、夜中に出会った4位の女性選手を捉えることができたのです。追い抜かれないよう夢中で登った山頂では、長い夜が明けて、遠い大地から上がったオレンジ色の朝日がそれまで冷えきっていた身体を温めてくれました。雪がまだ多く残る稜線をキラキラと照らし、その美しさにアンソニーと二人でハグをして喜びました。
133km地点の最後のサポートエイド「チャンプマン・ガルチ」では、とにかく急ぎたいとサポーターを急かします。なんとか4位を死守し、あわよくば3位を狙いたいと、食べられるものを口に入れて、すぐさま走り出しました。笑顔が戻り、自分でも安堵しました。しかし山を登る途中で、先ほど食べたものを急に嘔吐してしました。せっかく摂取できたエネルギーが吸収されずに全て出てしまったのです。ここから先、サポートエイドはありません。最小限の食べ物で胃腸を回復させ、どうしたらスピードを上げられるか、朦朧とする頭で必死に考え前に進みます。ここまできたら、みんなキツさは同じだ、そう自分を鼓舞し前を向くしかありませんでした。
最後の山を登り切ると、色とりどりの高山植物が咲き乱れていました。優しく冷たい風が疲れ切った身体を通り抜け回復させてくれました。ゴールであるシルバートンの町へ一気に下る中、スピードを上げられない足に悔しさを感じていました。レース中に何度も川を渡りましたが、最後の川は水量も勢いも一番すごく、必死にロープにしがみついていないと流されそうになるほどでした。
ゴールまであと数km地点、少しの登りで力さえ残っていれば大したことがない坂なのに、心が折れそうになりました。何度も後ろを振り返りながら、もう前だけを向けよと自分を鼓舞しなんとか登り切りました。やっと見覚えのある町が見えました。34時間前にスタートしたシルバートンに戻って来られたのです。ここまで来られたことの嬉しさで気持ちはいっぱいでした。自分が設定した目標の予想タイムより大きく遅れ、そして4位と悔しい結果ではあるものの、それを全て吹き飛ばすほどの喜びに満たされました。この大自然を全て楽しめたこと、仲間とともに最後まで諦めずに突き進んできたこと、この大会に関わる人々、山で会ったたくさんの人々と言葉を交わし、この地へ戻って来られたこと全てに感謝しゴールのモニュメントにキスをしました。
━━コロラドの山岳地帯を走らせた『ジープ ラングラー(Jeep Wrangler)』。どんな印象を持ちましたか?
ラングラーはこれまで日本でも乗ったことはありましたが、こんなにもアウトドスポーツと相性の良いクルマだということに改めて驚きました。モデルは違えども、日本で乗っている自分のクルマ(『ジープ コンパス(Jeep Compass)』)に愛着が湧きました。ハードロックの開催された山域であるサンファン山脈は、ゴールドラッシュの面影が残る山岳地帯です。当時炭鉱者が行き来したオフロードは今ではアクティビティの一つで、Jeep乗りたちの遊び場となっています。
行き交うクルマのほとんどがラングラーだったことには本当に驚きました。泥だけのクルマを誇らしげに乗りこなすドライバーの顔を見るのが、今回の旅の一つの楽しみになる程でした。レース中には、アメリカのランナーに「君は日本から来たのか? 僕は日本車に乗っているんだよ!」と言われて、「私はアメリカのジープに乗っているよ!」と二人で笑いました。
━━日本ではなかなかドライブすることのできない本場のオフロードはどんな経験となりましたか?
今回の旅で人生初めてクルマで川を渡りました。実はラングラーが流されるのではないかと不安だったのですが、川の勢いにまったく微動だにせず、前へ進んだときに、緊張した顔が笑顔に変わりました。大きな岩が転がるオフロードもなんなく走り、だからこんなにタイヤが大きいのかと納得させられました。ラングラーを運転すればするほど、次の凸凹はどこだ、川はないのか、とバッドコンデイションを待ち望んでいるかのような気持ちになった自分に気づいた時、とても驚きました。
━━ラングラーを使ったコロラドの遊び方はどんなものでしたか?
ラングラーでしか通れない道がたくさんありました。ラングラーのドライバーは皆勝ち誇ったような顔で運転しています。隣に座るパートナーや、後ろに座る家族は揺れに耐えながら山の中に入っていきます。誰よりも楽しんでいるのがドライバーであるという光景にカルチャーの違いを感じました。みんなオフロードでは助手席に座るのではなく、自身で運転したいというのが当たり前の様でした。
コースの試走中に出会った方はラングラーにたくさん付けたJeep認定バッジを誇らしげに見せてくれました。Jeepで走破した峠をアプリに登録するとJeepからそこの峠のネームバッジが送られて来るそうです。こんな遊びがあるのもアメリカならではですね。
遠くまで楽に行けるのがクルマの良さと思っていましたが、オフロードを楽しむためのクルマ選びに視点が変わった時、クルマに付いている泥の跳ね方に目がいくようになりました。このラングラーはどんな道を通ってきたのだろうか、このラングラーは何年くらい乗っているのだろうか、こっちははこんなところまでカスタマイズしている、そんな風にクルマを見るのは初めてでした。もっとラングラーでオフロードの山道を走りに行きたいと山遊びの選択肢が増えた瞬間でした。
━━ラングラーの走破性はどうでしたか?
川をはじめて渡った時、自分が怖がる分だけハンドル操作に影響してしまうことが一瞬で分かりました。ラングラーに身を委ねた瞬間に、まっすぐ川を通り抜ける安定感にとても興奮しました。2回目に川を渡ったときは、もう何も恐れるものはなく次の川はどこだ、とワクワク感に変わったのをよく覚えています。フロントガラスからは全く見えない急勾配の下り道も、ガクン! という衝撃がなく、少しずつ明らかになる斜面に私の気持ちもゆっくり準備ができました。こんな岩場も登れてしまうのかとアクセルを勢いよく踏んでしまいそうなくらい、楽々乗り越えるラングラーがとても頼もしくなりました。
●プロフィール
宮﨑喜美乃 / プロウルトラトレイルランナー
小学1年生から兄姉の影響で走ることが好きになり、高校・大学では駅伝部に所属し全国駅伝に出場する。引退後、大学院時代に専攻した登山の運動生理学の研究をきっかけに山の魅力にはまる。現在は、プロトレイルランナーとして国内外のウルトラトレイルレースで活躍しながら、世界最高齢でエベレストを登頂した三浦雄一郎が代表を務めるミウラ・ドルフィンズにて、登山者に向けた高山病予防のための低酸素トレーニング指導を行う。登山やトレイルランニング以外にも、クライミング、スキー、サーフィンやスキンダイビングなど、自然の中で遊ぶことを好み、環境負荷の少ない食事や生活、環境問題についても積極的に取り組んでいる。
〈直近の戦績〉
2019年:Oman by UTMB:Oman 3位
2021年:Thailand by UTMB:Thailand 準優勝
2022年:ULTRA-TRAIL Mt.FUJI:Japan 優勝
2022年:Pirin Ultra : Blugaria 優勝
2023年:Tarawera Ultra Marathon : New Zealand 準優勝
2023年:Istria By UTMB : Croatia 優勝
2023年:Hardrock100 Endurance Run : USA 4位
Text:宮﨑喜美乃/田中 嵐洋
Photos:田中 嵐洋