日常から宇宙まで思考がトリップする アーティストによる世界の「見立て」
作品を通して体験する
知っていたはずなのに知らない世界
「見立て」という言葉には二つの意味がある。ひとつは、ものの価値や状態を明らかにする「鑑定」という意味。もうひとつは、ある物の様子から「別の物や事を想起」するという意味だ。古くは千利休が瓢箪や竹の筒を茶室の一輪挿しにしたり、日用品を茶道具に使ったり、「見立て」の手法でモノの価値を転換し新しい価値を見い出した。マルセル・デュシャンがトイレの便器を「泉」と言い価値転換を行ったのも、また然り、である。
「静岡県浜松市美術館で個展「鈴木康広展 BORDER ─ 地球、まばたき、りんご、僕」が開催される、アーティストの鈴木康広さんの作品も、たびたび「見立て」の手法を用いる。私たちをとりまくあらゆる事象、すでに当たり前過ぎて気にも留めないようなコトやモノの数々は、彼の目というフィルターを通すことによって、再び意識下にやってきて、がらりと世界の見方を変えてしまうような新鮮な驚きをもたらしてくれる。
例えば、公園でよく見かける回転する遊具、グローブ・ジャングルを使ったインスタレーション作品「遊具の透視法」(2001)もそのひとつだ。回転しているグローブ・ジャングルをスクリーンに見立て、そこで昼間遊んでいた子どもたちの映像をプロジェクターで投影する。この作品を作った時、彼は「地球型の遊具で遊んでいる子どもが大陸に見えた」のだという。鈴木さんの思考は、決してひとところに留まらず、公園から宇宙まで、ひとっ飛びにジャンプしていく。
「地球って、その存在があまりに大きすぎて、誰もがあんまり興味を持てない。というか、別の視点で見ようということができなくなっているように思います。僕は、『遊具の透視法』を作ったことで、地球について意識して考える機会が増えました。すると、地球についてわからないことが多すぎて、不安になる(笑)。だから考えながらスケッチを繰り返していくと、新たな発見をする。その、繰り返しなんです」
遊具をスクリーンに見立てるという発想の転換と、自身が作った作品をさらにスケッチで反芻することで、新しい発見をしていく想像の大いなる飛躍があるのだ。
鈴木さんの作品には「まばたき」というキーワードもしばしば登場する。今回の個展でも『まばたき証明写真』という新作が登場する。街で見かける証明写真ボックスのようなブースがあり、中に入り椅子に座りボタンを押すと、いつの間にか証明写真が撮られているというもの。シャッターを切るタイミングは、なんと「まばたき」の瞬間。画像認識の技術を用い、まばたきの瞬間にシャッターが切れる仕組みになっているのだ。意識しない瞬間に写真を撮られた挙げ句、見事に目を閉じた証明写真が出来上がる、という少々いじわるな作品である。
「学生時代、証明写真を撮る時に『まばたきにご注意ください』って張り紙がしてあって、すごく違和感を感じたんです。証明写真って目を閉じていてはダメなんですが、目を閉じていたってその人らしさは十分に出てるじゃないですか。何故だろう、と。それ以降、『まばたき』に興味を持つようになったんです。また、人は目を閉じている瞬間という自分が気づかない、意識しない時間が確実に存在する、ということを見せたかった」
意識しない瞬間の自分を見る、ちょっと気恥ずかしい気もするが、いつもは気に留めることのない「時間」を考え、「自分」のことを考えるひとつのきっかけとなるだろう。
鈴木さんが発見して私たちに再提示してくれる新しい世界、それは「知っていたはずなのに知らなかった」世界である。展覧会のキーワードとなっている「地球、まばたき、りんご、僕」この言葉に聞き覚えがない人は、ほとんどいないだろう。既知の事象が普遍的な価値を持てば持つほど、それがまったく違う価値に転換された時の衝撃は大きい。
「僕が作品のテーマはほとんどすべてが『記憶』とつながっています。自分という人間を作り上げているのは、いままで生きている間でかかわり合ってきたものでしかありません。だから、その記憶を掘り下げていくのが一番面白い。子どもの頃にお腹が痛くなる程笑ったことや、当時感じた違和感や疑問。自然と接する感覚。僕の好奇心はすべて子ども時代と変わりません。だけど、そうしたテストにも出ないようなことは、大人になると忘れちゃうじゃないですか。地球にしてもまばたきにしても、僕にとってはうっとりするくらい魅力的なもの。それに対して決まった見方しかできないのはすごくもったいない。だから自分で気づいて『面白い!』と思ったことを、皆さんに教えたい、それで一緒に面白がりたいんです」
鈴木さんの発想は美術館内に留まらない。展覧会は美術館から飛び出して、オリエンテーリングのごとく浜松の街のあちこちを巡り、身を持って体感しながらさまざまな発見をしていく仕組みとなっている。「見立て」の手法で街を見渡してみると、日常の何気ないことがとんでもなく面白いことに転換される。展覧会名にある「僕」というのは、鈴木さん自身でもあり、鈴木さんの作品を通して思考のスイッチをスライドさせた鑑賞者「自分自身」である。そう、この展覧会では出会うのは、価値を転換した「自分自身」なのだ。
鈴木康広