【Jeepオーナーインタビュー】“異なれ”の精神でJeepと共鳴する、車いすバスケットボール界の革命児・鳥海連志
国際的なパラスポーツイベントで銀メダルを獲得し、大会MVPに輝いた車いすバスケットボール男子日本代表・鳥海連志(ちょうかい・れんし)。パラスポーツを代表するアイコンの信条は「自分が叶えたいことを叶えていく」。そして“異なれ”の精神で共鳴する相棒がJeep ラングラーだった。
2021年、夏。コロナ禍の東京で開催された国際的なパラスポーツのイベントで、ひときわ大きなサプライズをもたらしたチームがある。それは、車いすバスケットボール男子日本代表。初めて進出した決勝では、前回王者のアメリカと真っ向勝負を繰り広げ、60対64という僅差で惜しくも敗れたものの、あと一歩のところまで追い詰める戦いぶりで史上初の銀メダルを獲得した。しかしサプライズは、チームの快挙だけに留まらない。なんとその大会で、国際車いすバスケットボール連盟(IWBF)が選ぶMVPを獲得した選手が日本代表に──その名は鳥海連志(ちょうかい・れんし)。新たなパラスポーツのアイコンであり、『ジープ ラングラー アンリミテッド サハラ(Jeep Wrangler Unlimited Sahara)』を駆る Jeepオーナーだ。彼の道のりを支えてきた信条や精神は、Jeepが掲げる “自由・冒険・本物・挑戦”のDNAと共鳴している。
自由で自然豊かな環境の中で育った幼少期
車いすバスケットボールという冒険の先につかんだ史上初の快挙
鳥海氏は1999年生まれ、長崎市育ち。生まれつき両手両足に障がいを持ち、3歳のときに両下肢を切断した。それでも両親の個性を尊重する考え方と、幼少期に通っていた『菜の花こども園』(長崎市)の自由で自然豊かな環境もあり、鳥海氏は義足でさまざまな遊びやスポーツにチャレンジする活発な少年だったという。
「通っていたこども園は大自然の中で山に沿ってあり、どこかお城みたいな場所でした。両親がバスケをしていたので小さいころから家にはボールがあり、それこそ公園とかで父や兄とずっとやっていましたね」
バスケットボール以外のスポーツもやってみたそうだが、どれも遊び程度。のめり込んだのはバスケットボールのみ。今改めて振り返ってその理由を聞いてみると、鳥海氏はやや苦笑いを浮かべながらこう答えた。
「バスケットボールにのめり込んだのは……なぜでしょう。ただひとつわかっているのは、僕はどちらかというと集団行動に向いていない。その意味で周りの人たちに助けられながら専念してきたのが僕とバスケットボールの関係であるし、僕と家族や友人との関係なのだと今は思います」
鳥海氏は中学時代に佐世保WBCで車いすバスケットボールを始めると、持ち前の負けず嫌いの性格に火がつき、圧倒的な練習量を重ねてすぐさま頭角を現した。2013年10月にマレーシアで開催された『アジアユースパラゲームス』の日本代表に最年少の14歳8ヵ月で選出。2015年に開催された『三菱電機2015IWBFアジアオセアニアチャンピオンシップ千葉』での活躍を経て日本代表に定着すると、長崎県立大崎高在学中の2016年にはリオで開催された国際的なスポーツイベントにチーム最年少選手で参加した。
「僕自身、リオで初めて参加したときはベンチスタートでしたが、2度目となる東京はスタメンでの出場。東京までの期間は思うような結果を残せず、それでもメダルを取ることを目標にやってきました。コロナ禍だったのでいろいろな不安を抱えながらモチベーションを保つことは大変でしたが、それらすべてをひっくるめて応援していただいた親や友達、スポンサーさんたちにちゃんと結果で見せたいという想いが強かったですね」
東京で開催された夢舞台で、車いすバスケットボール男子日本代表は予選リーグを4勝1敗で突破すると、準々決勝で強豪・オーストラリアを破り、史上初の進出となった準決勝では2018年の世界選手権で優勝した英国も撃破。そして決勝では前回リオの王者・アメリカを最後まで追い詰める激闘を繰り広げ、堂々たる銀メダルを獲得した。さらに大会を通じて獅子奮迅の活躍を見せた鳥海氏は、国際車いすバスケットボール連盟(IWBF)のMVPに選出。車いすバスケットボールという冒険の先に、ついに快挙を成し遂げた。
「銀メダルという結果で見せられたので、気持ち的には“ほっとした”というのが一番大きかったです。それに僕らが勝ち進むことによって試合を放送する枠も増えて、結果的に日本全国の人に知ってもらう機会になったのはすごく意味のあることでした。車いすバスケットボールの普及の意味で、今まで知らなかった人に見に行きたいと思ってもらえたのも今回の銀メダルという結果があったからですし、ありがたいことに僕のことを応援してくれる人の数も、今までとは比べものにならないくらい増えたのを感じています」
大学時代から憧れ続けた“念願”のJeepラングラー
鳥海連志セッティングの運転補助装置を搭載
日本中を巻き込んだ夏のスポーツの祭典から、少し時を遡った2021年の3月。鳥海氏は現在の愛車である“念願”のジープ ラングラー アンリミテッド サハラと出会った。
「僕は大学へ進学するタイミングで地元の長崎を出て最初は横浜に住んでいたのですが、横浜はJeep、それこそラングラーに乗っている人がすごく多かった。そこから僕の中で横浜=ラングラーのイメージで、ずっと乗りたかったので“念願”。Jeepは僕にとって、純粋にカッコいいと思える憧れのクルマでした」
愛車で特に好きなのは“顔”と“お尻”。そして鳥海氏のJeepがスペシャルなのは、『グイドシンプレックスジャパン(Guidosimplex Japan)』の運転補助装置“ワンハンドコントロールシステム ツイストレバー”を搭載していること。ホワイトのボンネットのサイドにも、目立つブラックで“Guidosimplex”の名が刻まれている。
「このラングラーに乗り始めるタイミングから、グイドシンプレックスさんにサポートしてもらっています。以前にも契約のお話があったのですが、そのときは諸事情で流れてしまい、そこから数年後にまた僕からグイドシンプレックスさんにお話をして実現しました。なのでこちらも僕にとっては“念願”です」
このラングラーに乗り始める以前にも、車いすバスケットボールの先輩のクルマを借りたときに装置を使ったことはあったそうだが、この愛車に関しては自身の身体に合わせた“鳥海連志セッティング”になっている。
「今まで使っていた補助装置と比べてヴィジュアルも断然カッコいいですね。操作的には簡単に言うとプッシュでブレーキ、反時計回りに回すとアクセルというすごくシンプルなもの。ただ僕が以前に使っていたプッシュでブレーキ、プルでアクセルの補助装置と比べると、例えば坂道で止まったときのブレーキからアクセルへの移行がすごくスムーズなので、僕的にそういった部分が使っていてすごく魅力的に感じます」
このラングラーを手に入れて以降、鳥海氏は日常的な移動の足としてはもちろん、試合や合宿などの際は競技用の車いすを自分で運ぶため、勝負道具を常に積んで全国津々浦々を走った。
「所属しているパラ神奈川SCの拠点である神奈川県の藤沢をはじめ、千葉や静岡、三重、岐阜など、これまでもさまざまな場所へこのラングラーで行きました。いつも載せているのは競技用の車いすとスペアタイヤを2本。あとはバッグやサングラスなどもマストでいつも持っていきますね」
ちなみにボディカラーは鳥海氏曰く、「最初は黒を見ていましたが、白の方が海の見える風景に映えるかなと思ってこの色に」という理由でブライトホワイト。海が好きな彼は実際に藤沢や木更津などの海岸沿いをよくドライブしているそうで、自身の中で「乗っていて最高の瞬間はたくさんある」という。
「聞こえる音や見える景色、もちろん走り心地なども含めて、やっぱりこのクルマならではの感覚がありますし、シンプルに胸を張って運転できる。それこそ夏場に海沿いを走るときには上を開けているので、そのときの爽快感もやっぱりJeepならではですよね。今後はクルマでキャンプ場へも行きたいし、沖縄とか四国あたりの海がきれいな場所も走ってみたい。そういうところはきっと走っているだけで気持ちいいでしょうね」
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