“いい波”に当たる、永遠の挑戦場
そこに情熱がある限り、挑み続けたい波がある
サーフィン界のカリスマが対峙する「パイプライン」
人間がボード一枚だけで大海原を駆ける。スポーツの中でもサーフィンほどダイナミックで、瞬時に変わる自然への適応能力が問われるものは他にない。プロサーファーの糟谷修自さんはこの世界一筋35年。兄の影響で故郷の千葉でサーフィンに出合い19歳でLAへ留学、プロデビュー後はサーフィンのメッカであるハワイの波に魅せられ、オアフ島に移住。世界の大会でトップの座に幾度となく輝いた日本サーフィン界が誇るカリスマだ。
「世界中にメッカと呼ばれる海があって、波がいい所はほとんど行きましたね。ヨーロッパなら南仏ビアリッツ、南アフリカならジェフリーズ・ベイとか……」と話す糟谷さんは”いい波”を求め、果敢に世界を旅してきた人でもある。「どこの海でも、だいたい前日には分かります。海の動き、波が来る速度や形を見て”明日はいいのが来るな”って。経験と勘、今はネットの気象予報サイトもあるので、間違いなく当たりますね。そこの部分は漁師さんより自信がある(笑)。サーフィンには技術も必要ですが、波を読む力も大事です」
そんな世界の波を知る糟谷さんが求めてやまない聖地は、意外にも身近だった。その場所とは移住して25年になるオアフ島の北岸、ノースショアの「パイプライン」。サンセットビーチやハレイワ……ノースショアでも様々なポイントがある中で、パイプラインの巨大なパイプ状に巻き込む波は、乗れなければ本当のプロとしては認められない登竜門であり、若かりし頃の糟谷さんが心から「勝ちたい」と願い、飽きてもやりたくない日も、地道に挑み続けた波が待つ場所だ。
「ここだけは、毎年シーズンが来ると乗らないと気が済まない。パイプラインは自分へのチャレンジで、歳を重ねて無理な波には乗らなくなったとはいえ、何度でも挑戦したいと思える海です。いい波っていくら乗っても、感動が麻痺するし、その波を覚えているかというと一瞬のことなので忘れてしまう。人には言葉で伝えられないものもあります」
昔から将来の目標を考えるより目の前の、自分が情熱を抱くことにのめり込むタイプで、結果、好きなサーフィンが仕事につながってきた。「そういう人生を歩める人は少ないという意味ではラッキーだった」と振り返る。が、いくら好きとはいえ、「目標を達成するために犠牲にしたものもあったし、海底が掘られて大波が立つ危ない海が好きだったから、レベル的にも誰かとつるむことができなかった」とも語る。”挑戦の場所”としてのパイプラインは同時に、プロサーファーとして孤高の道を切り拓いてきた彼が唯一”帰る場所”でもあったはずだ。
近年は世界を目指す日本人プロサーファーのコーチとして活躍の場を拡げる一方、「SKサーフボード」という自らのイニシャルを冠したブランドも展開。これにはもうひとつの情熱が込められている。
「いい道具さえあれば、自分への挑戦ができる。いい道具を知らずに挑むのは無茶なことだし、ケガにもつながります。初めてパイプラインで波に乗るために作ってもらったボードがあったのですが、これが曲がらない、ターンもできないで、”オレってこんなにできなかったっけ”と(笑)。でも、翌年に別のシェイパー(サーフボード職人)に削ってもらったら、波が全然怖くなかった。そこから、サーフィンのスタイルが明らかに変わったし、他のサーファーより抜け出すことができた。そういう経験を若い子に伝えていきたいし、世界にも出してあげたいです」
これから11月~2月にかけてシーズンを迎えるノースショア。若かった選手時代ほどの数ではないが、今でも年間25本のサーフボードを使い切るという糟谷さん。「もうすぐ1本目ができあがって、パイプラインにもまた毎日、通うことになると思います」
SK SURFBOAD(SHUJIKASUYA.COM)
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