Real Tabi with Jeep〜Jeepと行く、日本の“こころ”を探る旅〜〈山形県・庄内〉
雪深き山々と海に囲まれた庄内地方で今なお伝わる地歌舞伎に出合う
自由、冒険、本物、情熱──。4つのDNAを持つJeepを駆って、日本という地が持つ“こころ”を解き明かす旅へ。雪を楽しみ、雪とともに生きる人々が積み重ねてきた文化を訪ねて。
今回ご紹介する山形の旅をYouTubeでお楽しみいただけます。
迫信仰の霊山、鳥海山に出羽三山。
豊かな恵みをもたらす山々に囲まれて
山の方にある地という県の名にふさわしく『ジープ グランドチェロキー リミテッド(Jeep Grand Cherokee Limited)』のドライビングシートから三方にそびえる山を拝しながら山形庄内へ。雪道をものともしない四輪駆動の頼もしい走りが、旅への期待を高めてくれる。
山形県と秋田県の県境にそびえる鳥海山(ちょうかいさん)は標高2236メートルを誇り、山麓周辺の人々の守り神として古くから崇められてきた。気象の変化がはっきりとした土地柄だけに、秀麗な山容は四季それぞれで目を見張るほど鮮やかな変貌を遂げるという。ドライブの途中、鳥海山から流れ出た水がこんこんと湧き出る「丸池様」と呼ばれる池に立ち寄った。透明度の高いエメラルドグリーンの池のほとりに佇むと、山が、池が、人々から崇められてきたことがその美しさから自然と理解できる。
羽黒山、月山、湯殿山の出羽三山もまた、古くから山岳修験の場として信仰を集めてきた。三つの山を巡ることは、死と再生を辿る生まれ変わりの旅と伝えられている。出羽三山参拝の表玄関となる羽黒山大鳥居をくぐり抜け羽黒山へと進んでいく。巨木がそびえる参道を歩き、息も凍るような霊気に包まれていると、何かに手を合わせたくなるような敬虔な気持ちになる。
山々に降り積もる雪は春には豊富な沢水となり、水田を潤し稲を育て、日本有数の米どころを支えてきた。庄内の人々が日々、親しみを込めて山を敬い、見上げて暮らす背景には、自然がもたらす豊かな恵みへの感謝の気持ちが存在するのだろう。
北前船の拠点として栄えた酒田の町。
富と文化が交錯する中で育まれた人間力
山の恵みだけではない。庄内の人々はまた、日本海の恩恵にも浴し、独自の文化を築いてきた。
江戸や大阪との交易において北前船(きたまえぶね)の西廻り航路の拠点であった酒田の港は、さまざまな産物と人が去来することで「西の堺、東の酒田」と称されるほど栄えたという。米を一千石搭載できることから千石船と呼ばれた船は、航路を一往復すると千両の利益をもたらしたといわれる。多くの豪商が訪れ、住まうことで江戸や上方の多彩な文物が伝えられ、華やかな料亭文化も育まれた。
そんな中でも群を抜いた繁栄を見せていたのが本間家だ。江戸時代は豪商として活躍し、明治以降は日本一の地主と称された。「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」と歌われたほどの大地主だが、代々の当主はその地位に奢ることなく、植林など多くの公共事業や庄内藩への資金援助・財政再建、藩士や農民の救済事業を行い、酒田の発展に尽くした。酒田の地元では現在も本間家のノブレス・オブリージュ(富ある者の社会貢献)の精神を敬い、誇りに思っている人が多い。
庄内の人々はまた、殿様にも恵まれた。江戸時代を通して現在の鶴岡市を本拠として庄内地方を治めた庄内藩は、藩主と家臣、領民の結束が堅固であったことで知られている。文化2(1805)年に酒井家9代目藩主・忠徳公が創設した庄内藩校は、自主性を重んじた教育方針で、一人ひとりの天性に応じ長所を伸ばす教育方針をとったという。
圧政や貧困の影がなく、山の恵み、海の恵みとともに歴史を重ねてきたからであろうか、庄内で出会った人々は、気さくであったり大らかであったり。旅のアルバムに沢山の思い出を添えてくれた。
雪の中で演じ、楽しまれてきた
黒森の農村歌舞伎
酒田市の黒森地区にある日枝神社を訪ねた。この地で、江戸時代中期の享保年間から続いてきたのが、地元の人々による農村歌舞伎だ。
「黒森歌舞伎の上演は毎年2月15日と17日と決められています。庄内が一番寒い時期ですが、農閑期に当たる旧正月の時期に神様に奉納する芝居として始まったことを大切に、日程は280年以上もの間、守られてきました。舞台には屋根があるものの、観客席は空の下。幸い今年は暖冬で雪がありませんが、雪が降る中での上演となる年も多く、“雪中歌舞伎”とも呼ばれています」と語るのは、黒森歌舞伎 妻堂連中座長の五十嵐良弥氏。
芝居という言葉は、寺や神社に奉納される猿楽や田楽を、人々が屋外の芝の上に座って観たことが語源だという。今年は雪こそ降らなかったが、澄み切った冷たい空気の中で繰り広げられる名場面や飛び交う名台詞は、不思議な高揚感をもたらしてくれる。ボランティアの少女たちが毛布や湯たんぽを配ってくれるため、寒さもあまり気にならない。
「アウトドアで演劇を楽しむ文化は私の故郷のイタリアにもありますが、冬のパフォーマンスは初めてです。演じる人と支える人、観る人に、劇場とは異なる一体感が生まれる空の下での上演は、芝居の原風景なのかもしれませんね」と、ティツィアナ・アランプレセ。
地元の人々によって演じられ、受け継がれている地芝居や地歌舞伎は現在でも全国に170近く残っているが、スケールの大きい演目を通し狂言の形で上演するのは、黒森歌舞伎ならではの特徴。レパートリーも50演目近くある。今回は三大義太夫(さんだいぎだゆう)狂言の一つである『義経千本桜』から、15日には『伏見稲荷鳥居前』と『摂州渡海屋(せっしゅうとかいや)』、17日には続く『摂州大物浦(せっしゅうだいもつのうら)』の場面が上演された。
五十嵐氏によると現在の黒森歌舞伎の座組みは9歳から85歳までの45人。
「私自身も自然な流れで、父や祖父が出ている舞台に7歳から子役として立ってきました。若者が都会に出ていってしまう近年は、存続のために人を集めたり芝居を伝えたりする苦労もあります。子どもの頃から歌舞伎に親しんでもらうため、23年前から小学生による少年歌舞伎を始めましたが、ずっと続けてくれる子は少ないですね。昨年からは高校生への呼びかけを行い、今年は5人が参加してくれました。地元の伝統を次の世代へ継承できるよう取り組んでいるところです」
舞台では義経と静御前の別れを描いた『伏見稲荷鳥居前』に続き、船宿の主人に化けていた平知盛が正体をあらわし、源義経に一矢報いるべく海へと向かう『摂州渡海屋』のクライマックス場面が上演されている。前年の秋から、ここ1ヶ月はほぼ毎日深夜まで稽古を重ねてきただけに、役者たちの台詞や見得(みえ)も、三味線の演奏や義太夫の語りも、しっかりと見応えがある。
きっと300年近く前の人々も同じように緊張したり、興奮したり、感動したりしながら空の下での歌舞伎を楽しんでいたのだろう。
ティツィアナ・アランプレセも、「雪を楽しむ車であるJeepで雪中歌舞伎を観に訪れることができたのは、素晴らしい体験になりました」と、惜しみなく拍手を送った。
山に海。豊かな自然の恵みと、その中で生まれ、受け継がれている文化との出合いを求めて。Jeepの旅はまだまだ続いていく。
●ティツィアナ・アランプレセ
FCAジャパン株式会社 マーケティング本部長
ナポリ東洋大学で学んだ後、奨学生として来日。九州大学大学院修了。帰国後、日本の自動車メーカーの現地法人およびフィアット グループでの勤務を経て、2005年から現職。
●五十嵐 良弥(いがらしよしや)
黒森歌舞伎 妻堂連中座長
酒田市黒森で代々農業を営む家に生まれ、幼少時より黒森歌舞伎に参加。役者として数々の舞台を踏む傍ら後進の育成に努め、2019年はポーランド公演の実施にも尽力。同年12月から座長に就任。
※役職、肩書きは取材時のものです。