My Jeep®,My Life. ボクとJeep®の暮らしかた。N.ハリウッド デザイナー・尾花大輔
ジープを中心としたコミュニティ・プロジェクト「CREATIVE GARAGE」では、ウェブマガジン『フイナム』、J-WAVEのラジオ番組「Jeep® CREATIVE GARAGE」と連動して、「現代のスタンダード」をテーマに新しい創造のきっかけとなるアイデアや情報の数々をお届けしています。
今回は〈N.ハリウッド〉のデザイナー尾花大輔さんが登場。「ラングラー アンリミテッド」で向かった先は、国の文化財でもある伊豆の「修善寺温泉 新井旅館」。お気に入りの宿への旅の道中で、自身の原点に存在する古着とアメリカや、頻繁に巡っている温泉、そしてクルマにまつわる原体験など、様々な角度から物事への向き合い方について語ってくれました。
すべては、アメリカと古着から始まった。
2001年に設立し、東京コレクションでの活躍を経て2011年春夏からは毎シーズンNYファッションウィークに参加。今や東京の枠を飛び越えグローバルブランドとしてその地位を確立している〈N.ハリウッド〉。デザイナー尾花さんの根底には、ブランド設立以前から、ブレずに存在し続けるものがある。古着、アメリカ、そして天性ともいえる「掘り下げ」のセンスだ。
「親戚がサンディエゴに住んでおり、小さい頃からアメリカが身近な存在だったのもあって、僕の地元からほど近い、町田周辺に点在する米軍払い下げストアなどには、安く古着が買えたというのもあり、中学生の頃から、そういう店にはよく通っていました。米軍払い下げストアは、当然アメリカの匂いがするわけで、頻繁に足を運んでは店員さんと話し込んだりしていたのもあり、どんどんアメリカへの憧れが強くなっていきましたね。そして高校生になると時代はキレカジ(キレイめカジュアル)ど真ん中。ラルフ ローレンの紺ブレやブルックス ブラザーズのBDシャツを着るのが、ある種のステータスだったかな。僕の家は普通の家庭だったからそういうのは買えない。だったら古着で紺ブレを探そうかと。BDシャツも古着なら2,800円。そうやって古着を自分なりに探して着るうちに、相模大野の〈バケーション〉という伝説の店で働くようになり、ヴィンテージの奥深さを知ってしまうわけです。もう、そこからはどっぷりでしたね」
その後、今はなき〈ヴォイス〉、〈ゴーゲッター〉といった古着の名店でキャリアを築いていった尾花さん。2000年、ゴーゲッターの上のフロアに自身のショップ〈ミスターハリウッド〉を立ち上げた。
「ヴィンテージを買い始めてからは、いつかバイヤーになってアメリカに行くというのが1つの大きな目標でした。それで高校卒業後、専門学校を中退してすぐにヴォイスに入ったのですが、僕は運がよかったというか、たまたま買い付けのメンバーに欠員が出たことで、入店後半年も経たないうちにアメリカに行かせてもらえたんです。そこからバイヤー人生が始まり、ゴーゲッターの立ち上げに参加、という流れなのですが、次第にアメリカでもいい古着がどんどんなくなっていくわけですよ。将来、古着で食べて行くことにも不安が出てきたり。だったら今あるもので何かできないのかなということで、リメイクを始めたんです。それが〈ミスターハリウッド〉が始まる、きっかけだったかもしれません。そして、イチから作る服を5点、リメイクを10点、古着のセレクトを15点というような感じで手探りで店をスタートしました」
天井を決めなかったからこそ、今のN.ハリウッドがある。
小さな規模ながら知る人ぞ知るショップとしてファッション感度の高い若者たちからジワジワ支持を集め始めた「ミスターハリウッド」。ほどなくして、オリジナルブランドである〈N.ハリウッド〉の存在が全国的に知れ渡った。きっかけは2002年のコレクション発表だ。
「当時、メンズ誌によく出ていたサタテミチアキくんというモデルが、フランス大使館のスポンサードのもとファッションショーをやりたいと。それでスタイリストの二村(毅)さんからの紹介で、僕らがやることに。当時はショーなんて考えもしていなかったですし、一体どうなるんだろうって(笑)」
結果としてそのショーが東京のファッションシーンに大きなインパクトを与え、その後のN.ハリウッドの輝かしい軌跡に繋がっていくことになる。東京コレクションではその後も毎シーズンあっと驚かされるようなコンセプチュアルなテーマやモデルキャスティングで絶大な存在感を発揮し、そのスタイルと情熱は2011年にNYファッションウィークに進出して以降も衰え知らずだ。
「振り返ってみても、1回目はわけがわからないなりにも初期衝動的パッションのきいたインスタレーションが発表できたかなと。その後も、USハードコアをテーマにした3回目のショーでは当時の自分の思いを正直に反映できたという意味ですごく大きかったですし、またベトナム戦争を題材に本物の軍人をキャスティングした東京最後のショーも長年経験したブランドでないとできないようなことを“かめはめ波”状態で出し切れたので印象に残っています。そして『さぁゼロからふんどしを締めなおそう』とチャレンジしたNYの1回目も、それまでの10数年の蓄積があったからこその表現ができました。手前味噌ですが、ターニングポイントは、リセットや強い発表の原動力になっているのではないかなと自負しています。とはいえじつは根本的な部分は古着屋時代から変わっていない。ゴーゲッターはただ古着を売る店ではなくて、例えて『今季は70年代のアウトドアをイメージしてダウンジャケットを集めよう』といったように、シーズン毎にテーマを決めていましたから。N.ハリウッドでは、古着のセレクター的感覚も大事にしながら服をデザインし、ショーを発表しています」
大好きだった古着が物作りのベースに存在し、憧れを抱いたアメリカでコレクションを発表している。そんな自身の現在地について、こうも語る。
「アメリカンドリームはまだ掴んでいないですけどね(笑)。それは冗談として、今のストリートの流れもそうですがファッションは気がつけばアメリカで変革が起きていることが多い。そういう側面からもNYで発表を続けるのは意味があると思っていますし、やりたい限りNYで、とも考えています。また、何年先までというのも決めていないです。こうやって“天井を決めないでやってきた”から今があると思っています。デビューしたからにはデビューした責任があると思っているので」
近年では、さまざまなブランドとのコラボレーションや、N.ハリウッド以外のブランドのディレクション業なども増えてきているという尾花さん。そこでも氏らしい審美眼やセレクトセンスは存分に発揮されている。
「そのブランドで一番ヒットしたアイテムをピックアップするように心がけています。なぜなら人気のあったアイテムって、知名度があるからこそいまではいろんなものが余計に乗っかってきていることが多い。だから一旦削ぎ落としてソリッドな形に戻してみましょうというのが僕の役目。そこからそのアイテムがよりよく再スタートを切れるように努めていくのが自分らしいし、続けていきたいアプローチの方向の一つでもあります」
温泉が、新たなライフワークに。
さて、デザイナーとしての仕事とは別に、尾花さんがファッション同様に深く掘り下げてきたのが「温泉」だ。雑誌UOMO(集英社)では、約4年間、50回に渡る連載「The Nyu Yoku Times」を展開し、全国各地の温泉をレポート。この日訪れた伊豆の「修善寺温泉 新井旅館」も、かつて取材でその魅力を肌で感じた場所なのだそう。
「うちは親が、旅とご飯が大好きで、箱根は近いのもあったせいか、子供の頃から特によく行っていました。そのせいもあり、歳を重ねて少しお金に余裕が出てきたところから、よく温泉旅行に行くように。で、ある旅館でみた専門誌だったかな、『日本には源泉掛け流しの旅館が66軒しかない』と書かれてあることに衝撃を受けたわけですよ。それで“本当の源泉掛け流しを探そう”とスイッチが入りました。そして1年くらいかけていろんな温泉を回っていた頃に、当時のUOMOの編集長から声をかけられて。最初は『本気で調べ始めて1年しか経ってないので』とお断りをしようと思ったのですが、『だったら一緒に勉強して掘り下げていけばいいじゃないか』と。なので、僕自身があの連載をやりながらさらに詳しくなっていった感じですね。生きてきた中で、こんな貴重な経験って中々ないなぁと、今でも思いますよね」
連載が終了した現在でも、愛用の水質計は常にクルマのなかに。湯めぐりはもちろん継続中だ。
「好きなものをどんどん掘り下げてしまうのは、もはや習性というのが正しいかもしれないですね。ただ、ハマれる可能性のあるものがたくさんあっても手を出しすぎないようにはしています。コレクションテーマもそうですが、グッと気持ちの入る感じが1年以上は続くだろうと思えるものじゃないと。途中で試練と思ってしまうと面白くないですからね。それこそ湯めぐりは、今でも変わらず楽しい。山を登らないと入れない秘湯や、ハードコアな野湯もたくさん行きましたし、今でも時間と気持ちにゆとりがあったらそういう温泉に行きたい!が、最近はどちらかというとホスピタリティ重視。ハードな処は、家族から敬遠されるのもあり(笑)、結果リラックスできるところが多いかな」
〈ジープ〉は、自分のモノ選びのスタンダードに通じる。
湯めぐりの相棒は、もちろんクルマ。無類のクルマ好きとしても知られる尾花さんらしく、常に2〜3台をシーンや目的に合わせて使い分けているという。
「クルマって1つの部屋じゃないですか。だから常に身の回りのものが全部クルマのなかにあるのは事実。ひと昔前は“ガジェットオフィス”なんて言いながらキャンピングカーの後部で、テーブルを出して事務仕事をしたり、公園の前にとめて絵を描いたりもしていました。今は、タフな仕事のときの相棒と、家族と温泉に行くためのホスピタリティの高いクルマ、そして、完全に男の趣味的なやつもあります。生前の徳大寺有恒さんから言われたことで、『尾花さん、クルマは人から見たら虚栄心の塊に見えるから、寧ろ好きだと言う事を言いふらし続けなさい』なんて、言われたことは今でも心に残っていますね」
これまで愛用してきたクルマの多くが四輪駆動。そこにも尾花さんらしいこんな理由が。
「クルマ好きになったきっかけはラジコン。実は子供の頃にTAMIYAの『RCカーグランプリ』に出たこともありまして。小学生ながらに町田のプラモデル屋がスポンサーについてくれたり、ジュラルミンのリアウィングを作っては委託販売し、そのお金でパーツを買ったり(笑)。当時からずっとオフロードバギーのラジコンを愛用していたこともあって、免許を取れる年齢になると当然のように4×4のクルマを選びましたね」
四輪駆動、そしてアメリカ、ミリタリー。尾花さんが好きで掘り下げてきたあらゆる要素が、不思議と〈ジープ〉とリンクする。
「ミリタリー好きとしては、〈ジープ〉という名称やヒストリーには、やはり惹かれますよね。この〈ラングラー アンリミテッド〉は、発売になった頃に辛口で知られる専門誌でかなり褒められていて、いつか試乗をしに行きたいなと思っていました。実際に乗ってみると、フラットなパネル類はいわゆる元祖ジープと言われるCJシリーズの名残を感じさせますが、オーセンティックなだけではなく、斜傾地を登っているグラフィックがある窓などファンシーな要素もあって実に面白い車だなと思いました。またアメリカ車ならではの軍物にも通じるスペック感や、古きよきプロダクトへのオマージュがありつつ、そこからのインスピレーションをうまく現代的に昇華させているところが魅力的。それでいて、当然ユーティリティー性が高くて大人5人がゆったり乗れる。最近、また個性でクルマを選ぶ人が増えてきている印象ですが、そういう時代の流れにもフィットしているようにも思います。個人的にはコンセプトカーのようなユニークさがある〈レネゲード〉も気になりますね」
クルマ選びに対する明確な基準と美意識。それはまさに、尾花さんのパーソナリティーそのものに繋がる。
「クルマは、クルマそのものがサンダルみたいなカジュアルな存在であってほしいといいますか。運転者である僕に対して快適すぎず、無骨で、虚栄心を感じさせない、一体感のあるものが好みです。特にそれぞれの車種から出ている廉価版が好きです。車そのものの必要最低限の機能性や、よりその車の魅力がダイレクトに伝わるというか。それは僕にとって、クルマだけじゃなくおそらくブランドの服作りにも言えることですし、ある点では湯めぐりにも繋がる。それが長年かけて染み付いた自分のスタイルでありスタンダードなんでしょうね」
今回使用したクルマ
『Jeep® Wrangler Unlimited Sport』 ボディカラー : ブラック C/C
Jeep® FREE CALL 0120-712-812
www.jeep-japan.com
Photo_Fumihiko Ikemoto
Text_Kai Tokuhara
Edit_Shinri Kobayashi
Produce_Kitchen & Company