Renegade 4xeで世界自然遺産の奄美大島へ
鹿児島と沖縄本島のほぼ中間に位置する、奄美群島で最大級の面積を有する奄美大島。ここは、2021年7月26日に国内5件目となる世界自然遺産に登録された島でもある。Jeep史上初のプラグインハイブリッドシステムを搭載したRenegade 4xeと共に、島で生まれ育った人と移り住んだ人を巡り、奄美大島のリアルなプロフィールを知る旅に出た。
Prologue:早朝の雨。緑の山裾の国道
旅の友は『ジープ レネゲード トレイルホーク フォーバイイー(Jeep Renegade Trailhawk 4xe)』。3種類のドライブモードからELECTRICを選べば、排ガスゼロで48kmの走行を可能にする最新のJeepは、世界自然遺産に登録された島にふさわしい環境性能と、Jeep伝統のオフロード性能を併せ持っている。それゆえ指定の午前6時に向けて走り出した国道で大粒の雨に祟られても、不安を感じることはなかった。
だが、このままではせっかくの自然散策が台無しになるのではないか? そんな乗り手の焦りなどまるで意に介さず、レネゲード 4xeは深い緑の山裾を穏やかに走り続けた。それがこの島に招かれるための作法と悟っているかのように。
マングローブはこの島の循環にとって不可欠な役割を担っている
「年間降水量が3,000mlに達する奄美大島は、水の島と呼ばれているんです。朝夕は毎日必ずどこかで降りますよ」手際よくカヌーの準備を進めながら、白畑瞬さんは土地の特徴を簡潔に話してくれた。
ネイチャーガイドの資格を有する白畑さんは、奄美大島の自然に触れる様々なアクティビティを提供するアマニコガイドサービスの代表だ。島の南東部に位置する住用(すみよう)地区のマングローブ原生林を巡る今回のカヌーツアーも、その一つである。
「マングローブというのは、海水と淡水が混ざり合う汽水域に生育する植物の総称なんですね。ここはヒルギという種が70%を占める、マングローブ群生地の北限に当たります。この島で降る雨は、山を伝って滝に落ち、川に流れて海に還りますが、山と海をつなぐ場所に育つマングローブは、温室効果ガスを吸収したり海水の浄化を行いながら、魚介類の住処にもなります。ですからマングローブは、この島の循環にとって不可欠な役割を担っているんです」
白畑さんの説明は、驚くほどすんなり頭に沁み込んできた。なぜなら、透明度の高い川を無警戒で泳ぐ魚の姿や、潮の引いた砂地を走り回るカニたちのせわしない様子が、すぐ目の前にあるからだ。そして直感的に、これは何人も侵してはならない聖域だということも理解できた。
いつしか雨は上がり、マングローブの枝がアーチとなって川を覆う地点まで漕ぎ進んだところで、白畑さんが艇首の先を指さした。
「アカショウビンですよ」
文字通り赤いくちばしを持つカワセミの仲間は夏の渡り鳥。鳴き声はよく聞くが、マングローブの森で見かける機会は少ないそうだ。
「今、川面に飛び込んで魚を狙いましたね。16年ガイドをやっている私でも初めて見ました!」
そうつぶやく白畑さんの顔を自分のカヌーから眺めた。そんな偶然を奇跡と呼んでいいですかと心の中でたずねながら。
まずは自分自身がこの海と島を知るのが大事だった
もっと島のことを知りたくて、ゲストハウスを併設したアマニコガイドサービスのオフィスをたずねた。そこで白畑さんがガイドサービスを始めるきっかけを聞いたのだが、これがかなり意外なものだった。
「奄美大島の子どもたちは、高校を卒業すると本土に向かうのが普通なんです。でも私は出ていく勇気がなく留まりました。その高校卒業から間もない頃、シーカヤックに乗って海から陸を見たら、生まれて初めて島の自然の豊かさを知ったんです」
灯台下暗しにも程があると思った。あのマングローブにしても、ここが島として固定した太古の昔からそこに在り続けているはずなのに。
とりもなおさず、暮らし続けてきた場所の美しさに気付いてからの白畑さんはアクティブだった。20歳でガイドを始めるのと併せて、国内外のカヌー/カヤック競技会に参加。その一方で2013年には、沖縄~奄美大島間のカヌー縦断も達成した。15日間に及んだこの単独行は、生まれた島のガイドを務めると決めた白畑さんにとって成すべき挑戦だったという。
「まずは自分自身がこの海と島を知ることが大事だったのです。そこで気付かされたのは、この島には古き良き日本が残っていることでした。子どもは宝と思う人々のつながり。生活に根付く神様の伝説。300年以上も歌い継がれている島唄。そして手つかずの自然。それらが決して普通ではないという意識を島の人々に持ってもらうのも、奄美大島のガイドの務めだと私は思います。世界自然遺産登録は、その活動を進める良いきっかけにしたいですね」
誰もが「ただいま」と言える第二の故郷になるように
カヌーツアーに同行してくれた四本佑さんにも話を聞いた。彼はアマニコガイドサービスに所属して4カ月の、屈託のない笑顔を浮かべる19歳だ。
「子どもの頃から釣りが好きで、高校を出た昨年に神奈川県で釣り関連の業種に勤めたのですが、向こうは釣り禁止の場所だらけで驚きました」
それだけなら帰島を考えなかったかもしれない。社会人1年目の青年を悩ませたのは、件のコロナ禍による労働機会の減少と、祖父との永遠の別れだった。
「大好きなじいちゃんでした。貿易船の船乗りで、釣りの師匠で……。向こうでそれなりの経験をしてみたら、じいちゃんや父さんのように島で暮らしたいと気付かされたんです。一度離れたからこそ身に沁みた奄美大島の良さは、大人たちが若者を放っておかないことでした。この島は、親ではなく地域が子どもを育ててくれる。だからガイドとして日の浅い僕は、島を訪れた人たちにはひたすら島の暮らしを伝えています。誰もが“ただいま”と言える、第二の故郷になるように」
長い時間付き合ってもらったお礼を白畑さんに告げていたら、レネゲード 4xeを停めたあたりから四本さんの声が聞こえた。「このクルマ、撮っていいですか?」「もちろん」と言うと、先ほどより低いトーンのつぶやきが返ってきた。
「じいちゃんに見せてやりたくて……」