My Jeep®,My Life. ボクとJeep®の暮らしかた。 アーティスト・花井祐介
「原点」、「スタンダード」という言葉をキーワードに、多彩なゲストを迎えてそれぞれのストーリーを紡ぐ連載企画「My Jeep®,My Life.」。今回は、日本はもとりより世界中にその名を轟かすアーティストの花井祐介さんが登場。自宅兼アトリエを構える逗子から、ジープとフェリーで千葉の南房総へ日帰りサーフトリップを決行。アーティストとしての活動から趣味のサーフィン、そしてクルマについて、さまざまな話をお訊きしました。
純粋な遊びとしてのお絵描き。
東京、ニューヨークやロンドン、パリなど国内外でのエキシビジョン、〈ヴァンズ(VANS)〉といった名立たるブランドとのコラボレーション。一度目にしたら忘れることのできない、どこかノスタルジックな雰囲気を醸し出す独特のタッチ。描いているのは、今もっとも注目を集めるアーティストのひとり、花井祐介さん。そのクリエイティブの原点=ルーツはどこにあり、その作風やスタイルはいつ芽生え、開花し、どのように確立されていったのだろうか。
「僕の原点は悪ふざけ(笑)。子どもの頃から、よくこっそり誰かの似顔絵を描いてみせて皆で楽しんでいました。それと同じようなことを今でもしている感覚なんです。だからあまり真面目ではなく、どこかクスッと笑ってしまうような作品ばかり」
今のサーフィンを楽しむ快活な様子からは想像できないが、喘息持ちだったこともあり、子どもの頃は家で絵を描いて過ごす時間が多かったという。
「子どもの頃から絵を描くのはずっと好き。当時はキン肉マンの絵ばかり描いていましたね」
グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックスなどの音楽が入り口に。
“絵を描くのが好き”だった少年が、“絵を描くことを仕事”にしようと考えるようになっていったのは何がきっかけだったのだろう。
「19歳の時に地元の先輩が、『ロード・アンド・スカイ』というバーを始めることになったんです。内装含めて基礎工事から自分たちでやったのですが、そこで、看板やメニューを手がけたのがキッカケです。別に僕は絵の勉強をしたこともなく、ただ子どもの頃から人の似顔絵を描いてふざけて遊ぶのが好きだった程度なんですが、その中では絵が上手かったということで任されることになりました。看板は横幅3メートル、縦1メートルくらいのものもありましたね。その後もそのバーで働きながら、イベントのフライヤーなどを頼まれて描いていくうちに面白くなって」
そのバーのオーナーは、花井さんが高校生の頃からの先輩で、湘南のサーファー。今では一番の趣味ともいえるサーフィンもその先輩から学び、バーに集うカリフォルニア好きな面々からも刺激を受けた。
「先輩が60年代〜70年代のアメリカンカルチャーに傾倒していたんです。だから、バー『ロード・アンド・スカイ』は60年代と70年代の音楽やカルチャー好きがよく集まり、アメリカ好きな湘南のローカルサーファーたちが毎晩のように大騒ぎする溜り場でしたね。僕自身も、グレイトフル・デッドから入って、ヒッピーやビートニクに興味を持ち始めて、ロックコンサートのポスターをまとめた『アート・オブ・ロック』という本が好きで、よく開いて見てました」
その影響は、花井さんが描いた「ロード・アンド・スカイ」の看板にも現れている。
「看板はジャクソン・ブラウンのレコードジャケットのロゴをベースに描きました。それがグレイトフル・デッドやジミ・ヘンドリックスのポスターを描いているリック・グリフィンの作品だったんです。彼からも大きな影響を受けていますね」
アートやサーフィン、引いてはカルチャーまみれの刺激的なバーで働く生活を経て、2003年にサンフランシスコへ留学する。
「サンフランシスコはバックパッカーで訪れたことがあったので、いつかは住んでみたい街でした。それに加え、何よりも先ほど話したリック・グリフィン、グレイトフル・デッド、ジミ・ヘンドリックスの音楽やビートニクの作品をはじめとするサンフランシスコのカルチャーが好きだったので」
約1年間のサンフランシスコ留学。そこで得たものは?
「最初の半年間は語学学校へ通い、あとの半年間はアートスクールに。そこで初めてしっかりとした絵の教育を受けました。英語はペラペラではありませんが、コミュニケーションがとれるレベルくらいは話せるようになりましたね。それにサンフランシスコがまだ文化的に面白い時期に、あの場所で過ごせたことはいい経験でした。当時はBarry McGee(バリー・マッギー)のグラフィティが街中に溢れていましたよ」
横浜→世界へと急速なジャンプアップ。
帰国後、花井さんは看板屋で働きながら、絵の仕事を求め、さまざまなコンテストに応募。ユニクロのクリエイティブ・アワードでは入選し、自身の作品がTシャツとなり販売され、10万円の賞金を獲得した。それをキッカケに花井さんの人生が動き出したという。
「ユニクロで入選した絵が『MdN』というデザイン雑誌のスタッフの目にとまり、取材を受けたんです。で、今度はその雑誌を見たWEBの広告代理店の社員が、知り合いを通して僕をウェブデザイナーとして誘ってくれました。その時は、よく分かっていませんでしたが、大きな会社だったのでいいかなって(笑)」
Webデザイナーとして働きながらも、自身のアートワークを続けていた花井さんに転機が訪れる。今ではおなじみとなった「グリーンルーム・フェスティバル」の前身で、横浜で開催された「ムーンシャイン・フェスティバル」に、かつてバイトしていた「ロード・アンド・スカイ」がフードブースを出店。その看板を再び描くことになる。
「そのイベントに参加していたJeff Canham(ジェフ・カンハム)やAndy Davis(アンディ・デイヴィス)といったアーティストと彼らの作品を扱っているカリフォルニアのギャラリーのオーナーに、僕の作品が気に入られて、お前の絵は面白いから取り扱いたいと連絡をもらいました」
それがニューヨーク、ロス、ロンドン、パリ、シドニーと世界中をまわるイベント「ハプニング」への参加と繋がった。
「Thomas Campbell(トーマス・キャンベル)やバリー・マッギーが作品を飾っていた『ハプニング』というイベントに、なぜか僕も誘ってもらいました、そこではジャック・ジョンソンやGラブ、トミー・ゲレロがライブもしていましたね。そこで作品もちゃんと売れました。購入してくれたのはベン・ハーパーのマネージャー。彼はジャック・ジョンソンを発掘し、1stアルバムのプロデュースを務めたような大物なんですが、彼が僕の作品を1番初めに買ってくれたは感激でしたね」
結果としてこのターニングポイントを機に、国内の大型セレクトショップとのコラボレーションなど、一気にアーティストとして開花することなった花井さん。昨年は〈ヴァンズ〉のグローバルプロジェクトへ参画、今年は〈グレゴリー〉とのコラボモデルのリリースも控えている。様々な作品を通して花井さんが伝えたいこととは?
「僕の画集の最後にも書いた言葉ですが、“Everybody has problems in life but we have the power in us to laugh ourselves out of them.”つまりは、“人生において、誰もが悩みや問題を抱えている。でもそれを笑い飛ばすだけの力を誰もが持っている”という意味かな」
時折、作品のモチーフにもなるサーフィンだが、花井さんにとってサーフィンはあくまで趣味だという。
「もちろん、サーフィンを通しての繋がりから広がった仕事などありますが、あくまで趣味です。海の近くで育ち、サーフィンが好きでいつでもできるという理由で、逗子に暮らしているようなものですから(笑)」
アメリカンカルチャーを感じるジープ。
今日の日帰りサーフトリップにおいても、海への移動手段として欠かせないのがクルマ。クルマについては?
「正直、どんなスペックだとかはあまり興味がないかもしれません。あくまで移動の足として所有していて、昔はサーフボードが乗せられればOKでしたし、今は子どもが二人いるので家族が乗れればいいかな。でも……」
そう語る花井さんだが、今回ドライブしてもらったジープには少し違った感想を持ったようだ。
「アートもそうですが、僕はアメリカンカルチャーに影響を受けていることもあって、やっぱりアメリカものが大好きなんです。アメリカもの特有の武骨さみたいのが好き。ジープにはそれを感じますね。ただこの『グランドチェロキー』には品も感じます。ジープ本来の男臭さに加え、ラグジュアリーな内装など上品さも併せ持っている印象ですね」
サーフィンを通して出会った仲間や、さまざまな場所での縁を通じて広がったアートの世界。花井さんが大切にしている言葉、そして今後についてはどのような未来予想を描いているのだろうか。
「特別にこの言葉というのは見つからないですけど、繋がりを大切にすることは常に考えていますね。クリエイティブな活動においては、現状維持。今は子どもといる時間が幸せなので、子育てや趣味であるサーフィンの時間も大切にしたいです。今後も自分のペースで、僕の原点でもある“悪ふざけ”を忘れずに描いていきたいですね」
今回使用したクルマ
『Jeep® Grand Cherokee Summit(ジープ グランド チェロキー サミット)』
Jeep® FREE CALL 0120-712-812
www.jeep-japan.com
Photo_Wada Yuya
Text_Yasuyuki Ouchi
Edit_Shinri Kobayashi
Production_Kitchen & Company