最前線で活躍し続ける写真家・若木信吾さんが大切にしていること【ON AIR NOTES】
写真家・映画監督・書店経営・雑誌出版など多岐に渡って活躍する若木信吾さんの原点とは?
毎月最終日曜日の22:00よりお届けしております、ラジオ番組『Jeep® CREATIVE GARAGE』on J-WAVE 81.3FM!この番組では都会的でクリエイティブな人々が集まり、モノやコトのはじまりをひも解きながら、現代のスタンダードを発信していきます。ナビゲーターを務めるのは、AKOさん、ウェブマガジン『フイナム』編集長の小牟田亮さん。
第3回目のゲストは、写真家・若木信吾さんです!
>>パソコンやスマホでラジオが聴けるサービス「ラジコ(radiko)」を使えば、リアルタイムはもちろん、タイムフリー機能で自分の好きな時間に聴くことも可能です。
写真家として最前線で活躍し続ける一方、地元・浜松での書店経営、雑誌や映画制作と多岐にわたり活動を行う若木さん。幼少期に写真を撮り始めたきっかけや、NY留学時代のお話、影響を受けた物事など、原点と「今」のストーリーを伺います。
“ON AIR NOTES”
2017.06.25 [Sun] 22:00-22:54 OA
■おじいちゃんを撮影モチーフにした、シンプルな理由
「80年代は雑誌ブームで、いろんな雑誌の広告や、海外の写真を見て、こんな写真を撮りたい!と奮起していたのですが、僕が当時暮らしていたのは、学校から自宅までの帰り道には一人も歩いていないような田舎でした。モデルになるような人は、当然誰もいなくて。家に帰っても、いるのはおじいちゃんだけ。そこで、おじいちゃんに広告の真似ごとでポージングをとってもらったり、物を持たせたりして、撮り始めたのがきっかけです。(※編集部注:おじいちゃんを撮りためた写真は『Takuji』として若木さんの代表作になりました)」
■とにかく自由で、圧巻のスケールを誇る大学での日々
「ロチェスター工科大学の授業は、自由度がとても高かったですね。自由に撮影して、その写真に対してどうプレゼンするか、が主な授業内容。設備も日本では考えられないスケール感で、ワンフロアすべてが写真学科。暗室が100個くらいあって、自由に使えて、蛇口をひねると現像液が出てくる、みたいな。スタジオも100個くらいあって、カメラも使いたい放題、スタジオに普通に4×5カメラとかあったけど、撮り方やカメラの使い方は一切教えてもらえなくて。友達に聞いたり、自分で勉強するしかない。そんな環境でした」
■大学卒業後の駆け出し時代。門前払いは当たり前。
「ニューヨーク(マンハッタン)はヨーロッパやアジアやいろんなところからカメラマンになりたい人が集まっていますからね。とりあえずポートフォリオを持って雑誌社に行くんだけど、誰も会ってくれない。運良く作品をみてもらえたとしても、2日後に「Thank you」とだけ書かれたカードが挟まれて戻ってくるみたいな。その繰り返しでした」
■あるワークショップでのブレイクスルー
「そんな中で、ルームメイトが全米でも有名なフォトジャーナリズムのワークショップ“エディ・アダムス・ワークショップ”に参加して、賞を受賞したんです。学校を卒業してから2年以内の報道写真家を目指す若いカメラマンたちを100人絞って集めてきて、三日三晩寝ずに行うワークショップで、「すごく面白いからお前も行け」と言われて。報道写真家は目指してなかったけど、次の年に参加しました。『ニューヨークタイムス』『タイム』『ライフ』のような、有名なメディアの編集者が講師として来ていて、写真を見てくれたり、いろいろ教えてくれて。そこで、僕も賞をもらえたんです。そこからうまく仕事がもらえるようになりましたね」
■ニューヨークで学んだ「Nothing to lose」の精神
「NYでは、駆け出しの仲間同士で「Nothing to lose」って言葉をよくかけあってましたね。失うものは何もないよ、って。営業行くのも、だいたいビビるんですよね。でも全然大丈夫、失うものは何もないし、やった方がいいよ、と。このキーワードが思い浮かんだだけで、ちょっと一歩を踏み出すかって気分になりますよね」
■日本でも「失うものは何もない」精神でとにかく行動
「日本へ戻ってきたのが1996年。浜松からニューヨークの大学へ進学したので、東京での仕事に興味があったんです。当時の『デザインの現場』っていう本に“クリエイターズファイル”と称して、クリエイティブに携わるオフィスの名前と番号が全部書いてあったんですよ。今じゃ絶対ありえないけど(笑)。そこに片っ端から電話をかけました。Nothing to loseの精神ですね。そしたら意外に、日本の人たちは会ってくれたんですよ。2週間くらいの滞在で、20人以上会ってくれて。しかもコーヒーごちそうしてくれたり、ランチに連れていってくれたり。最高だなって思いました」
■日本での初仕事。浅野忠信からの、Beastie Boys!
「最初は雑誌『花椿』のポートレート写真でした。浅野忠信さんのポートレートだったんですけど、当時浅野さんも人気が出てきていた頃で、いちばん最初の仕事で、なんて恵まれているんだ、と非常に嬉しかったことを覚えています。その次は、『Rockin’on 』で「Beastie Boysがライブにくる」という情報をどこからか得て、「撮りたいです。むしろ俺しか撮れないかもしれないです」とプッシュしまくったところ、撮影させてもらえることに。
なので、2本目がBeastie Boysの『Rockin’on 』の表紙です。日本にいると、アメリカでは到底撮影できないアーティストも、撮影できるチャンスが巡ってくることに気づきました」
■撮影でのアプローチの仕方「向かい合うより、横にいて寄り添う感覚」
「ポートレートがメインなんですが、なるべくリラックスした状態というか、対決みたいにはしたくない。子供のころに友達を撮影していた時のように、お互い緊張せずに撮影したいっていうのが根底にあります。向かい合っているというより横にいて寄り添っている感じです」
■ラングラーとの思い出。グランドチェロキーの乗り心地は?
「東京に来てから、2~3年後に車を買ったのですが、それが黒のラングラーのハードトップでした。オートマなんだけど、中古で、もともと大きいタイヤがはかせてあって、気に入ってしばらく乗りまわしてました。今回はグランドチェロキーに乗って益子に行きましたが、乗り心地が最高でしたね。Jeep®なんだけどすごくラグジュアリーな感じがあって、シートも大きい。Jeep®特有のハンドリングのスムースさと、包み込まれるような高級感があって、気に入りました」
■若木さんが益子に感じる「名前のない美しさ」
「十数年前に初めて行ってそれから毎年行ってるんですが、車で行ける距離としてはギリギリ日帰りができてパラダイスみたいな所です。焼き物の町で有名だけど、「濱田庄司記念益子参考館」や、「starnet」や「pejite」など、知り合いがやっているレストランやカフェやショップがあって、自分たちと同じ世代の感覚が似ている人そこにいて、見て楽しむ芸術というよりは使ってどんどん馴染んで洗練されて削ぎ落とされた美がそこにある。作品の裏に名前が書いてあるわけではない美しさというか。僕がおじいちゃんを撮っていた時の感覚に似ていますね。自分のおじいちゃんは有名でもなんでもないけど、自分がその写真を撮り続けていくことで、それが人に伝わってあのおじいさん面白いねとか自分のおじいさんのことを思い出すとか。そういう機会が自分の手で作られていくのはすごく面白かった。そこがリンクしていると思うんですよね」
ラジオ番組と連動して、CREATIVE GARAGEでは『フイナム』と共に、若木信吾さんの「原点と今」をより深く特集した記事「 My Jeep®, My Life. ボクとJeep®の暮らしかた。」を同時に公開。合わせて是非お楽しみください。
〈J-WAVE 81.3FM Jeep® CREATIVE GARAGE〉
Navigator:AKO、小牟田 亮(フイナム編集長)
ON AIR:6月25日(日)22:00-22:54(毎月最終日曜)
番組公式サイト:http://www.j-wave.co.jp/original/creativegarage/
>>ラジコ(radiko)での聴取はコチラから
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