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2023.02.09

【Jeepオーナーインタビュー】佐々木明、最大にして最後の挑戦

アルペンスキーから山岳スキーに転向後、RealStyleで数回に渡り活動報告をしてくれた佐々木明氏が、40歳を迎えた2022年3月に4年後を見据えた競技復帰を宣言。生粋のJeep乗りでもあるスキーヤーが、いかにして大きな決断に踏み切ったか。その経緯をトレーニングの合間にたずねた。

過去の栄光は今の実力じゃない

※こちらのインタビューは2022年7月に行われたものです。

「限りなく成功が難しい取り組み以外は挑戦じゃない」

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▲佐々木明氏。

1981年北海道生まれ。少年時代からアルペンスキーで頭角を現し、日本体育大学在学中の19歳で世界選手権とワールドカップにデビュー。21歳でソルトレークシティーオリンピックに出場。以降、トリノ、バンクーバー、ソチまで4大会連続出場を果たす。ワールドカップでは、日本人最高位の2位表彰台を3度もなしえた。

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▲写真:田草川嘉雄

32歳で臨んだ2014年のソチオリンピック後は、新たなフィールドを求めて山岳スキーへ。先代JKのラングラー アンリミテッドに始まり、『ジープ グランドチェロキー(Jeep Grand Cherokee)』、そして最新のJL『ジープ ラングラー アンリミテッド(Jeep Wrangler Unlimited)』を乗り継ぎ、この8年間は日本中を駆け巡る日々を過ごした。以上が重大発表までの経緯だ。

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確かに彼は、アルペンスキー競技から山岳スキーに舞台を移す際、「引退」ではなく「転向」という言葉を使った。しかし、40歳で競技復帰するとなれば、しかも8年ものブランクを挟んでいると知れば、誰もが驚かざるを得ない。あるいは非常識として揶揄するかもしれない。
それでも彼は、44歳で迎える2026年のミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックに出る決意を高らかに宣言した。

「2022年の3月9日、1人きりの札幌のホテルでした。その日やるべき作業をすべて終えたとき、ふと『やろう』って決めたんです」

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その札幌泊は、リゾート開発という未来に続く仕事のためのステイだったという。

「過去の栄光で今が成り立っているところはたくさんあります。2030年の札幌オリンピックに向けた町おこしの仕事も、推薦や紹介があってこそ。そうして日本のスキー界で、自分のようにやれている人は他にいないだろうとも思うんです」

ではなぜ?

「50歳を想像してみたとき、これまで培ってきた流れに乗って、『それらしい大人になるんだろうなあ』と思ったんですよ。そういう普通の大人になれるのを喜んでいる自分もいた。ただ、『俺が本当に望むのはそれなのか』とよくよく考えたら、逆にイメージがおぼつかなくなって、すごく怖くなりました」

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とはいえ、実績を積み重ね信頼を勝ち取り、然るべき立場を得るために人は頑張るのだろうし、むしろ大人になるとはそういうことではないのか?

「でも、そのままでいたら普通の大人でしょ? 何より、過去の栄光は今の実力じゃない」

今日1日のために1年の364日を費やしている

ソチオリンピックの後に、何かしらのピリオドを打つため山岳スキーに転向したことに後悔はないという。だが、それなりの立場に流れ着くのも良しとした彼に、“普通の大人”になることを拒ませたのは山の世界だった。

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▲写真:Hiroshi Suganuma

「山に挑んでよくわかったのは、1つのことを一生かけてとことんやり続ける人がたくさんいること。その究極が三浦雄一郎。それはアルペンとの大きな違いでした。そして、本気で山に向き合っている人ほどに自分は山にコミットできていない事実だった。皆、今日1日のために1年の364日を費やしているんです。それは俺がアルペンでやっていたことだったんです」

この8年間、つまり競技再開までのブランクは、今となってはその気づきのためにあったと思えるそうだ。

「こうなることは、薄々は気づいていたんです。でも、これまでの楽しい暮らしを捨てて、かつてのようにすべてを競技のためだけに費やして、それで失敗したらどうなるんだと、少なくとも2年は葛藤しました」

佐々木明にも恐れるものがあったわけだ。

「あったんでしょうね(笑)。挑戦とは目標設定だと思うんです。目標を決めて挑んだからこそ、失敗してもクリアするまでやり続ける。アルペンでそれが果たし切れたかというと、やっぱり取りこぼしがあった。要するに頂点に立っていない。優勝にしか意味がないのは、世界大会であろうと町民大会であろうと同じですから。そこにたどり着けなかったのは、やっぱり人生の汚点なんです」

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今が最大にして最後のチャンス

「1つのきっかけは、湯浅直樹の引退です」

彼が口にした2年の葛藤。その間の出来事として、同郷で2歳年下のスキーヤーの名を挙げた。湯浅直樹氏は、先輩同様にアルペンのワールドカップや世界選手権で活躍。3度の冬季オリンピック(五輪)に出場。人工関節手術もいとわず戦ったが、2021年末にそのシーズン限りでの引退を表明した。

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▲湯浅直樹氏(写真右)(写真:田草川嘉雄)。

「彼と菅平で滑ることがあったんです。2人でリフトに乗ったら、係のおじさんは直樹にだけ声をかけたんです。まだ現役だったから。そこで見過ごされた俺は、過去の人になることを実感したんです。だから彼が引退を考え始めたとき、直接会って伝えました。『辞めるというのは、あの菅平の俺になるんだよ』って。そう言いながら、自分の中にズレが生じたのを感じたんです。直樹は、肉体というより人間の限界に達して辞めざるを得なくなったけれど俺はどうだ? まだできるのに何をやっているんだと」

「それから」と彼は言葉を続ける。

「夏の東京オリンピックと冬の北京オリンピックが続いたのも大きかった。選手たちがカッコよくて、やたら感動して号泣しまくりました。彼らはやっぱり凄いんですよ。他にやりたいことを我慢して、時には大事な人とも別れて。そういう努力や経験を俺は知っているから余計にね。『ゆず』の歌なんか流れて来たら相当ヤバかったですよ」

たった1人の自問自答。だからこその葛藤。その末に訪れた、ホテルの部屋という予期せぬ場所での穏やかな啓示。自分はラッキーだと彼は言った。

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「俺が目指しているのは、誰もが知っているわかりやすい大会ですからね。ただ、4年に1回という現実を見れば、今が最大にして最後のチャンスです。やっぱり44歳以降は無理。自分で限界はつくりたくないけれど、物理的な限界は悟っている。ただ、今の自分にはやれるマインドがあるから、これが本当のワンチャンスになりますよ」

こだわりは函館ナンバー

転向後の8年には大きな意味があったと彼は言う。その間は常にJeepがそばにいた。Jeepと共に日本中を走り回ったからこそ、この場所にたどり着けたと思いたいのだが……。

「もちろんですよ。何しろ雪道の走破性が半端ないですからね。それがなかったら、山岳スキーを本気で楽しめなかった」

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先述の通り、ソチオリンピック後にJKの『ラングラー アンリミテッド』を手に入れて4年乗り、『グランドチェロキー』を3年。2年前にJLの『ラングラー アンリミテッド』に戻った。

「JKから重量が結構軽くなったでしょ。これが効いていて、同じ冬の峠道でもより安定して走れるようになりました。裏を見たときに納得したんですよ。JLになってインテリアはかなりラグジュアリー感が増したけれど、裏は以前と変わらずシンプル。ちゃんとJeepでした。でも、今でもJKは好きですよ。“The Jeep”って感じが強いですからね」

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乗り継いだJeepはいずれも“実は汚れが目立ちにくい”ホワイト。こだわりはもう1つある。

「すべて函館ナンバーなんです。東京ではいろいろおいしいんですよ。『ずいぶん遠くから来たんだね』って、みんな親切に道を譲ってくれたりして。撮影でもナンバーを消さないようにお願いしています。これが自慢だから。海外に行くようになると国内でJeepに乗る時間が激減しますが、前のグラチェロ同様、実家に預けます。そうしておけば、帰国してすぐに乗れますからね」

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▲写真:Hiroshi Suganuma

一番辛そうな世界に身を置く幸せ

いよいよ、競技復帰に向けて本格始動。8月初旬からはアルゼンチンへ渡り、トレーニングやレース参戦をスタートさせるという。いまもっとも必要なものを聞いてみた。

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「足りていないのはお金。というより優秀なスタッフと環境づくり。そのために相当な資金が不可欠なことは、俺が誰よりも知っていますから」

そこで資金調達の一環として、クラウドファンディングを始めるという。取材の直後にスタートした『ノーポイントから世界の頂へ』というプロジェクトは、これを書いている段階で第一目標金額を大きく上回る支援を集めていた。

「資金集めもそうだけど、クラファンを通じてファンコミュニティにちゃんと情報発信したいと思ったんです。ノーポイントから世界に挑むから、最初は16歳くらいの選手たちにボコスカやられるところも含めて。そこから何かを感じ取ってほしい、なんて言うのはおこがましいですよ。結果が伝わればそれで十分。たとえば俺がスポーツを見て感動しても、選手は俺を感動させたいわけじゃないでしょ。ただ、それが競技でも病気でも挑戦している人を知れば俺も勇気をもらえる。そんな伝わり方になればいいですね。いずれにしても、今回は多くの人を巻き込むから、正しく情報を発信する責任は果たしたい」

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責任に対する明確な意図があるなら、佐々木明は立派な大人だ。こうなると、彼の挑戦は大人の定義の破壊も含まれるのではないかと思えてくる。

「40歳って響きがよくないから、年齢的に無理だと言いたくなる気持ちはわかりますよ。でも、無理無理って冷めた顔を向けた人も、たぶん3歩も歩いたら別の話をするんです。だったら、やりたいことを好きにやったほうがいい。何が失敗かだなんて、他人に決められなくていい。結局、周囲の反応に勝手に怯えて、それを吹っ切るまでに2年かかってしまった。そういうことですね」

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最後の質問。今の気分は?

「人生最大に楽しいですよ。この先には茨の道しかないのはよくわかっているけれど、一番辛そうな世界に身を置くこと、そのための時間をつくることがやりたかったから。しんどいのが幸せです」

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実はここまでのインタビューは、先に伝えたようにクラウドファンディングを始めた直後、なおかつアルゼンチン遠征へ向かう前の2022年の7月に行っていた。その後の彼は、季節が逆転している南米のドメスティックイベントに数戦出場し、地道なポイント獲得活動を実行。クラウドファンディングに至っては、募集締め切りまでに目標金額の3倍を超える約3,400万円の支援を集めた。そのクラファンを通じたメッセージによれば、11月にはヨーロッパに入り、久々のホーム感を味わったという。そうして、予想していたとは言え当人にとっても多忙過ぎる数カ月を経て、ようやくこの記事を公開できることになった。その間、40歳での競技復帰は世界各地に知れ渡り、驚嘆と称賛の声が挙がっているという。そしてまた、自ら道なき道を進む彼のスピリットは、何よりJeep乗りにこそ響くはずだ。佐々木明が選んだ4年後のミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックまでの道程、最後までしっかり見届けたい。

Text:田村 十七男
Photos:大石 隼土

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