The Future of Freedom 〜本物の自由を見つけた者たちの言葉〜〈Vol.2 SCIENCE〉天野篤

 /  776 Views

“神の手”を持つ外科医の、ひとりでも多くの命を助ける無私の精神

★>>【おすすめ記事】11年ぶりのオールニュー。新しいJeep® Wranglerが披露されたALL-NEW Jeep® Wrangler LAUNCH CONFERENCEレポート

★>>【おすすめ記事】The Future of Freedom 〜本物の自由を見つけた者たちの言葉〜 〈Vol.1 MUSIC〉坂本龍一

11年ぶりのフルモデルチェンジが話題を呼ぶ『All-New Jeep® Wrangler』。Jeep®の歴史を培ってきたこの一台と同じく、揺るぎない信念を持つプロフェッショナルの7人が、進化の先に辿り着いた自らの本物の自由を語るスペシャルインタビュー企画の第2弾をお届けする。前回の坂本龍一に続いて今回登場するのは、“神の手”を持つと称される心臓外科医の天野篤。日本医療界では誰もが知る名医だが、その境地に至るまでの道のりには、挫折、葛藤、懺悔、そしてそこからの不断の努力と圧倒的な情熱があった。天野が命と向き合う日々の末に辿り着いた本物の自由とは?

根底にあり続ける、父親と交わした“最期の言葉の嘘”

「私がこの仕事をするにあたって常に心掛けていることは、手抜きしないということ。手抜きというと表現に語弊があるかもしれませんが、“まあこんなもんでいいか”という妥協を一度でもすると、その状態からまた妥協して、妥協して……を繰り返してしまう。結果として、特に医療の世界においてはその妥協が後悔にしかならないんです。自分が納得できる手術が、患者さんの未来をつくる――それを信じて、曲げないことが大切でしょう」

順天堂大学医学部教授であり、順天堂医院院長の天野は、心臓を動かしたまま執刀することで患者の負担を軽減するオフポンプ手術のパイオニア。そんな天野の名が世に知れ渡ったのは、2012年2月。狭心症を患う天皇陛下の冠状動脈バイパス手術を執刀し成功、ついた異名が“神の手”だ。事実、これまで手掛けた手術は約8,000件、現在も年間400件以上の手術を手掛け、その成功率は98%という圧倒的な実積を持つ。ただしもちろん、“神の手”はそう簡単に形成されたものではない。むしろ、学生時代の天野は落ちこぼれだったという。

「私は医学部に入るまでに3浪しているし、偏差値も50未満だった。ただし今思うのは、それが無かったらきっと挫折を知らずに、人の痛みがわからない医者になっていただろうということ。それに、自分の目的が見えている人間の人生において、ムダなものはひとつも無い。あのころの経験はすべて今の自分に生きています」

3浪の末、21歳で医学部に入学。医師免許を取得したのは28歳の時だった。天野がそこまでして、なりたかった医者という仕事、そこには心臓病を患っていた父親の存在が大きく影響していた。ただし、運命のいたずらか――天野が第一助手として立ち会った手術で、結果的に父親は帰らぬ人となってしまう。

「自分の判断ミスで、まだ生きられた父親の命を66歳で終わらせてしまった。最後に助からないって自分ではわかっていたけれど、父親に『もうちょっとしたら良くなるから、もう少しがんばってくれよ』って言い、鎮静剤を打って寝かしたんです。父親と交わした最期の言葉が嘘だった――その時のことを“消しゴム”でずっと消そうとしているけど消せないんです。でも消す努力を諦めない。それが私にとって医者という仕事なのでしょう」

5,000件を超えて見た光と、天皇陛下のバイパス手術

天野が医者として一人前になれたと思った瞬間。それは執刀した手術が5,000件を超えたころだった。それまでは患者から勉強させてもらっている自分のための手術だったが、その時からは患者から求められているものを提供できるようになったという。また、天野にとって大きな転機になったのが、天皇陛下の手術だった。

「天皇陛下の国民のためにという“無私の精神”に触れたことで、私の考え方も変わりました。出会うすべての患者さんに、自分の全力を公平に提供すること。そのために自分の時間や肉体を費やし、仲間の力も借りる。自分のためではなく、誰かのためにとはっきり思えるようになった。私は自分が手術したことを患者さんには言いません。患者さんはわかっているかもしれないけれど、手術がうまくいったということは自分ひとりの力ではないんです」

そもそも医療の世界では、パーフェクトな準備で手術に望めることは無いという。それは準備を怠っているという意味ではなく、どんなに用意周到に準備したとしても、患者の体調も含めて予定調和なものはひとつも無いということ。ただし、天野の医者人生で唯一、完璧な準備ができたと思えたのが天皇陛下の手術だった。

「1週間、その手術のための準備期間があって、道具、人員、場所、そのすべてを完璧に準備した。それは失敗するわけがありません。それに、私としてもあの手術に自信がありました。『カイジ』という漫画でビルとビルの間を綱渡りするシーンがあるでしょう? 同じ幅を地上でやったら誰でも渡れる。だけど、地上何百メートルの上でそれをやったら大抵の人は渡れない。天皇陛下の手術はそういう次元の手術でした」

天野に「現時点で自分はどんな医者だと思いますか?」と尋ねると、しばらく考えながら言葉に詰まった。その姿には、かつて天皇陛下の手術を手掛けた医者としての驕りは微塵も無かった。

「名医とかの意味ではなく、自分を客観視した時に“けっこういい位置にいるよ”とは思います。ただし、自分はこれまで『こういう医者になりたい』みたいに目指したことは無いんですね。その場その場で何とかしなきゃいけないと必死になってここまでやってきた。ひとつひとつの手術の結果を積み上げて、患者さんに頼っていただいた時に応えられるような医者になること、それが自分の目指すべき道なのだと思います」

死は無――命とは絶対に助けなければいけないもの

改めて天野に「先生にとって命とは?」と聞くと、間髪入れず、迷いも無くこう答えた。

「絶対に助けなければいけないもの」

死後の世界への考え方はあるものの、外科医にとって「死は無でしかない」と言い切る天野。患者を助けられなかった時、自らの身体の内側から湧き上がってくるものは後悔や虚無感、そして嫌悪感。天野はなぜそこまで人の命を助けたいと思うのか――それを問うと、“贖罪(しょくざい)”というさらに強い言葉が返って来た。

「前世でよっぽど悪いことをしたんでしょうね。自分の生きていることを何かに役立てなければいけないという想いがある。預かった命を何とかしますから、神様お願いします――もしかしたらそんな感覚なのかもしれない」

もはや自分のためという感覚はとうに忘れ去った。何かのため、それでしか結果は出し続けられないことも知っている。ひとりでも多くの命を助けたいという純粋かつ強固なモチベーションが、天野を突き動かしているのだろう。現在63歳。自分がこの先、リタイアすることへのイメージはあるのだろうか?

「私の尊敬する脳神経外科医で、私より遥かに“神の手”に値する福島孝徳さんという先生がいて、私の13歳上なので76歳になるのかな。いまだに現役で、年間500件以上の手術をするそうです。13歳上なので恐らく私より先に引退すると思うのですが、ひとまず福島先生が引退するまでは、その背中を追っかけていきたいですね」

撮影中、天野は院内でスタッフや患者に話しかけながら歩き回る。それは医療ドラマなどで部下を引き連れて大名行列をする教授のイメージとは真反対の姿だった。たまたま通りがかった老夫婦は、撮影している天野を見つけてひとしきり談笑したのち、撮影クルーに「すばらしい先生ですよ」と語りかけた。

「病院では世代で固まってしまうと、コミュニケーションのズレを生んでしまう。スタッフや患者さんが、僕の手術した人のほんの少しのサインを見つけてくれることもある。それが最後の最後、ギリギリで患者を救えるんです」

撮影の最後に、天野は心臓のバイパス手術を行ったばかりの10歳の子の話を聞かせてくれた。手術は成功、10歳の子が自分の年齢になった時に自分はこの世にはいないけれど、その心臓は生き続ける――天野の誰かのための闘いはこれからも続いていく。スペシャルインタビュー動画はAbema TVで配信中

★>>【おすすめ記事】My Jeep®,My Life. ボクとJeep®の暮らしかた。シェフ・相場正一郎

★>>【おすすめ記事】人気インスタグラマー Koichiさんが、Jeep® で新潟県スノーピークHeadquartersキャンプフィールドへ!愛車のWrangler Unlimited Saharaの魅力を語る。

Text:ラスカル(NaNo.works)
Photos:Masato Yokoyama

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

Jeep®の最新情報をお届けします。

Ranking